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 イタリア北西部からアルプスを越えてガリアに至る街道がアオスタ渓谷に入ってすぐのところに街道跡が残っています。崖を削って作った道で、門のように3mほどの短いトンネルがあるのが特徴です。岩に轍が刻まれていて、道の上に立つとここを確かに人が通ったのだという実感が湧いてきます。
 「全ての道はローマに通じる」で有名なローマ街道のうちで一番最初に造られたのがアッピア街道です。起点のカペーナ門からチェチーラ・メテッラの墓までの4kmほどを2018年5月に実際に歩いてみたので紹介します。
「街道の女王」の異名をもつこのアッピア街道の最初のマイルストーンが、今もその場所に建っています。

 スペイン南部、アンダルシア地方にある都市コルドバにローマ橋が残っています。古代ローマ時代のものはあまり残っていませんが、支柱やアーチの一部はオリジナルのものです。
 スペインのメリダには二つのローマ橋があり、このうち西のグアディアナ川に架かる橋は現存する古代ローマ橋の中で最長です。メリダは古代ローマ時代から交通の要衝で、二つの橋も街道網の一部でした。
 ポン・サン・マルタン(Pont-Saint-Martin)はアオスタ渓谷の入り口近くにあるローマ橋です。一つのアーチで川を越えていて、そのアーチの幅(スパン)は35.6mあり、現在に残るローマ橋のアーチとしては最大のものです。
 イベリア半島の西部を南北に走る街道、通称銀の道の中程に位置するサラマンカ。その南の入り口に当たるのがトルメス川に架けられたローマ橋です。
 ポン・ジュリアンは南仏プロヴァンスにあるローマ橋で、ローマ本国とガリア、ヒスパニアを結ぶ経路であるドミティア街道上にあります。その名はジュリアス・シーザーの名と関連しています。
 アルプス山脈の南の麓の街アオスタ。ここはローマ本国からアルプスを越えてガリアに抜ける主要ルートの、ローマ側の玄関口です。アオスタに残る遺跡は個性的で、実際に目にしてみると新たな発見も多く、とても刺激になりました。
約2000年前に作られたスペイン西部のこの橋は、未だに生きて使われています。車が通ってもびくともしない橋は驚異です。

 スペインのメリダにあるミラグロス水道橋は、柱に赤いラインが規則正しく入った独特の姿です。この人間の英知の象徴である水道橋の上に、今ではコウノトリが巣を造っていて、諸行無常を感じずにはいられません。
 南仏プロヴァンスの街ニームのカステルム・アクアエ(castellum aquae)を紹介します。「何それ?」と思う人が大多数でしょう。しかも数多くのローマ遺跡が残るニームの中でも超マイナーな存在です。しかし古代ローマの水道の仕組みが解る貴重な遺跡です。
 ローマの玄関口テルミニ駅の南東にあるマッジョーレ門(ポルタ・マッジョーレ)は水道橋の一部として造られたもので、上に2本の水道が通っています。しかしこの周辺を通る水道はこれだけではなく、水道が渋滞していると言ってもよいほどの混雑ぶりです。
 アオスタの西にある細く切り立ったコーニュ渓谷に架けられた水道橋で、橋の上を歩いて渡ることができます。導水管の下に保守用の空間がある独特な構造です。この水道の目的は都市への飲料水供給ではなく、農地の灌漑と鉄鉱石の洗浄でした。
 ローマから遠く離れたスペイン北部の街、セゴビアにある水道橋です。橋脚がとても細身で優美な印象を受けるとともに、よくこれが2千年間壊れずに残ったものだという愛おしいような気分にもさせられます。
豊富な水は古代ローマの都市生活には欠かせません。ポン・デュ・ガールのことを深く知ると、水を提供するためにどれほどの努力をしていたかがよくわかります。

 アウグストゥスが好きです。でもアウグストゥス は一般にはあまり人気がないのです。その墓であるアウグストゥス廟も観光地としては無名で、地球の歩き方でもおすすめ度を現わす星が一つもついていません。でもアウグストゥス・ファンにとってここは聖地です。
 2018年5月1日、1日でローマ市内の遺跡42個を一筆書きで歩いて巡った記録です。
 「全ての道はローマに通じる」で有名なローマ街道のうちで一番最初に造られたのがアッピア街道です。起点のカペーナ門からチェチーラ・メテッラの墓までの4kmほどを2018年5月に実際に歩いてみたので紹介します。
 ローマの地下鉄B線にピラミデ Piramide という駅があります。Piramide というのはイタリア語で「ピラミッド」のことで、その名の通り駅前広場にはピラミッドが建っています。 このピラミッドが実は紀元前12年頃に作られた古代ローマの遺跡で、執政官を務めたガイウス・ケスティウス・エプロという貴族の墓なのです。
 アルプス山脈の南の麓の街アオスタ。ここはローマ本国からアルプスを越えてガリアに抜ける主要ルートの、ローマ側の玄関口です。アオスタに残る遺跡は個性的で、実際に目にしてみると新たな発見も多く、とても刺激になりました。
地中海を見下ろす巨大な建造物。初代皇帝アウグストゥスのアルプス征服を顕彰した記念碑です。

 首都ローマの超有名観光スポットでいつも行列ができている真実の口から道を挟んだ向かい側に、人もまばらな広場があります。丸と四角の二つの神殿が建つこの場所はフォルム・ボアリウムといい、共和制のころから商業の中心として賑わい続けた場所でした。
 ローマの玄関口テルミニ駅から北西に400m程のところにあるサンタ・マリア・デッリ・アンジェリ教会は、ミケランジェロが設計したもので、観光客も多く訪れる観光スポットです。これは古代ローマの浴場(テルマエ)の残骸を再利用したもの、というのもガイドブックなどに書かれています。しかしその浴場がどんなものだったのかは説明されることがほとんどなく、実は辺り一帯に浴場の名残が散らばっていることもあまり知られて
 2018年5月1日、1日でローマ市内の遺跡42個を一筆書きで歩いて巡った記録です。
 オスティアはかつて首都ローマの港湾都市として栄えたところで、建物が豊富に残っています。特にモザイクはバラエティーに富んでいて見応え充分。私はポンペイよりオスティアの方がお気に入りです。
 城壁と聖人の町と言われるアビラ。その城壁は古代ローマの城壁の跡に建てられたものです。ただし最初に断っておきますが、古代ローマ遺跡は何も出てきません。
 ドイツのロマンチック街道沿いにある都市アウグスブルク。その起源は紀元前15年、初代皇帝アウグストゥスの時代に造られた、ゲルマン人と向き合う最前線の軍団基地です。重要な場所ですが残念ながらその痕跡はほんのわずかしか残っていません。
 古代ローマ人はパンをパン屋で買っていました。え?当たり前ですって?でもこれ2000年前ですよ。
 現代のローマは7階建てくらいの建物が連なっていますが、実は2000年前のローマもこれとあまり変わらない姿をしていました。そこに建ち並んでいたのが庶民の住宅、インスラです。
 アルプス山脈の南の麓の街アオスタ。ここはローマ本国からアルプスを越えてガリアに抜ける主要ルートの、ローマ側の玄関口です。アオスタに残る遺跡は個性的で、実際に目にしてみると新たな発見も多く、とても刺激になりました。
「テルマエ」の代表と言っていいでしょう。でも単なる「公衆浴場」と思ったら大間違いです。そこからはローマ人の価値観を感じ取ることができます。

 2018年5月1日、1日でローマ市内の遺跡42個を一筆書きで歩いて巡った記録です。
 ナボーナ広場はごちゃごちゃと建て込んだローマの街の中心部にある長円形の広大な空間です。周囲にはレストランやカフェが並んでいて、広場に3つある噴水を眺めながら食事やお茶ができるローマ観光の定番です。ここはかつて古代ローマ時代には陸上競技場で、その形がそのまま残っているのです。
 ローマでポンペイウス劇場といってもガイドブックに出ているわけでもなく、知る人は少ないでしょう。  それもそのはずで、劇場の形をなしていない、どころか、跡形もないと言っていい状態です。 しかしポンペイウス劇場は歴史上とても有名な事件の舞台となったところなので、そのかすかに残る痕跡をたどると当時の人々の息遣いが聞こえるような、不思議な実感が湧いてきます。
 アルプス山脈の南の麓の街アオスタ。ここはローマ本国からアルプスを越えてガリアに抜ける主要ルートの、ローマ側の玄関口です。アオスタに残る遺跡は個性的で、実際に目にしてみると新たな発見も多く、とても刺激になりました。
 「パンとサーカス」という言葉が表す通り、古代ローマでは市民に娯楽が潤沢に提供されていました。そのなかでも演劇は重要な要素で、都市には必ず劇場があります。今でもイタリアはもちろん、ヨーロッパ各地、そしてアフリカ、中近東まで数多くの劇場が残っています。中でも南仏オランジュの劇場は昔の姿をとてもよく残していて、古代ローマ劇場がどんなものだったかをこの目で確かめることができます。

 ローマを取り囲むアウレリアヌス城壁は、今もローマの街のあちこちに痕跡を留めています。しかし帝政前半のパクス・ロマーナの時代のローマには城壁がありませんでした。3世紀にローマ帝国の国力が弱まって異民族の侵入を許すようになり、異民族から首都ローマを守るために建設されたのがこの城壁で、いわばローマ衰退の象徴とも言えます。
 南仏プロヴァンスの都市ニームにあるメゾン・カレは古代の姿をとても良く残した神殿です。これほど完全な形で残っている古代ローマ神殿は他にはありません。
 首都ローマの超有名観光スポットでいつも行列ができている真実の口から道を挟んだ向かい側に、人もまばらな広場があります。丸と四角の二つの神殿が建つこの場所はフォルム・ボアリウムといい、共和制のころから商業の中心として賑わい続けた場所でした。
 2018年5月1日、1日でローマ市内の遺跡42個を一筆書きで歩いて巡った記録です。
 オスティアはかつて首都ローマの港湾都市として栄えたところで、建物が豊富に残っています。特にモザイクはバラエティーに富んでいて見応え充分。私はポンペイよりオスティアの方がお気に入りです。
 城壁と聖人の町と言われるアビラ。その城壁は古代ローマの城壁の跡に建てられたものです。ただし最初に断っておきますが、古代ローマ遺跡は何も出てきません。
 ドイツのロマンチック街道沿いにある都市アウグスブルク。その起源は紀元前15年、初代皇帝アウグストゥスの時代に造られた、ゲルマン人と向き合う最前線の軍団基地です。重要な場所ですが残念ながらその痕跡はほんのわずかしか残っていません。
 アルプス山脈の南の麓の街アオスタ。ここはローマ本国からアルプスを越えてガリアに抜ける主要ルートの、ローマ側の玄関口です。アオスタに残る遺跡は個性的で、実際に目にしてみると新たな発見も多く、とても刺激になりました。

Posted by roma-fan