ポン・ジュリアン〜南仏プロバンス・リュベロン地方にあるローマ橋(フランス)

 ポン・ジュリアンは南仏プロヴァンスにあるローマ橋で、ローマ本国とガリア、ヒスパニアを結ぶ経路であるドミティア街道上にあります。その名はジュリアス・シーザーの名と関連しています。




古代ローマ橋

 陽光がきらめきロマンチックなイメージの南仏プロヴァンス。その中でも美しい村が点在する観光スポットであるリュベロン地方に古代ローマ橋、ポン・ジュリアンはあります。現在のフランス南部は古代ローマ人からアルプスの向こう側のガリアという意味の「ガリア・トランサルピナ」という名で呼ばれていましたが、紀元前121年にローマが征服して属州とし、ガリア・ナルボネンシスと改名されました。紀元前118年頃にグナエウス・ドミティウス・アヘノバルブスによって、ローマ本国とガリア、スペインを結ぶ街道、ドミティア街道の建設が開始され、その経路上に造られたのがポン・ジュリアンです。

 ポン・ジュリアンの7kmほど東にアプト Apt という街がありますが、これは紀元前50年頃にカエサルによって建造された古代ローマの植民市アプタ・ユリア (Apta Julia)で、ポン・ジュリアン Pon Julien の名はこの街の名に由来します。”Julia”はユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)から取っているので、ポン・ジュリアンの名はカエサルの名に由来するというわけです。

橋の構造

 橋はリュベロンの採石場から切り出した石灰岩で造られています。リュベロン周辺の土壌は石灰岩が主流で、白い山肌や崖の他、建物も白っぽいものが多く見られます。

 橋は3つのアーチからなり、中央のアーチが両端より大きく、橋の上も中央がやや盛り上がっています。

 橋脚の上部にかまぼこ型の穴が開けられていますが、これは橋の重量を軽減すると共に、洪水時に水が通り抜けることで橋に圧力がかからないようにするためのものです。ローマのティベリーナ島とテヴェレ川東岸との間に架けられているファブリキウス橋にも同じ構造があります。

ローマのファブリキウス橋。

 写真で見る印象よりかなり大きく、高さは11.5mとマンションの4階ほどもあります。訪れたとき気楽に橋の上から見下ろしたら、手すりがチャチなせいもあって足がすくみました。

橋の上にいる人と比較すると橋の高さがわかります。

 長さは80m、幅は5.5mです。(大きさはWikipediaフランス語版より)最近まで自動車が通行できたそうですが、2005年に橋の損傷を防ぐために隣に新しい橋が架けられ、歩行者・自転車専用になりました。

幅は5.5m
2005年から歩行者・自転車専用になりました。

リュベロン地方

 リュベロン地方は東西に伸びるリュベロン山塊の南北に広がる平原で、ポン・ジュリアンはリュベロン山塊の北麓にあります。下を流れるのはカラヴォン川(Calavon)で、この北麓の平原を東西に走る川です。

カラヴォン川の川床は石灰岩なので真っ白です。

 現在ポン・ジュリアンは北のルシヨンと南のボニューを南北に結ぶ道路上にありますが、ドミティア街道は カラヴォン川に沿って東西に伸びていたはずなので、橋の前後で道はS字型に曲がっていたのでしょう。しかしドミティア街道に沿っている現代の地方道路D900はずっとカラヴォン川の北側を走りこの橋は通らないので、 イタリア側が橋の北なのか南なのか解りません。

ポン・ジュリアンの北側。元の道がどうなっていたのかわかりません。

 地図を見るとポン・ジュリアンの南からカラヴォン川に沿って西に伸びる細い道があり、北側には地方道路D900の南にゆるいカーブを描く細い道があります。これが旧ドミティア街道の跡である可能性が高いように思えます。つまりイタリア側からカラヴォン川の北岸を来て、ポン・ジュリアンで南岸に渡ったということです。カラヴォン川南岸を東に向かう道がないことからもこれが有力と思えます。

 しかしカラヴォン川の北側を東に伸びる道とポン・ジュリアンは角度的に一繋がりと見るのは無理がありそうなのが難点です。そもそもポン・ジュリアンは北側がやや西を向いているのですね。東隣の街 Apta Julia(現代のアプト)がカラヴォン川南岸、西隣の街 Ad Fines(現代のNotre-Dame de Lumières)が北岸にあるところを見ると逆のようにも思え、結局のところ本当のところはわかりません。

ローマとガリア、スペインを結ぶ道

 ドミティア街道はイタリアからアルプスを越えたところにあるブリアンソンから、 ガリア・ナルボネンシスの州都、スペインに近い地中海沿いの都市ナルボンヌを結んでいました。

 起点のブリアンソンには、ローマからポー平原西部のトリノを経てモンジュネーヴル峠(Col de Montgenèvre)でアルプスを越えて至ります。

 モンジュネーヴル峠はアルプス超えの峠の中では高度が低くなだらかです。古代ローマの軍人ポンペイウスは、紀元前77年のヒスパニア遠征でこの峠を利用しました。そのポンペイウスに勝ったライバルのカエサル(ジュリアス・シーザー)もガリア遠征でこの峠を何度か利用したそうです。

 終点のナルボンヌからはアウグスタ街道(Via Augusta)でヒスパニア(今のスペイン)、アクィタニア街道(Via Aquitania)で大西洋岸のボルドーに通じていました。また途中のアルルからは、アウグストゥスの盟友アグリッパが建設したアグリッパ街道によって、北海(アミアン)、ライン川(トリーア、ケルン)にも通じていました。

 この橋を渡る人々によってローマはヒスパニア、ガリア、ブリタニアに拡大していったのです。

行き方

 イギリス人作家ピーター・メイルが1989年に出した「南仏プロヴァンスの12か月」というリュベロンでの生活を書いたエッセイがベストセラーになり、欧米でリュベロンブームが巻き起こりました。交通の便はよくないのですが、大勢の人々が訪れるようになったのです。

 最寄りの都市はパリからTGVで2:45ほで着けるアヴィニョン、セザンヌで有名な同じくパリから3:10ほどのエクス=アン=プロヴァンスです。しかしリュベリン地方はどちらからも離れていて、公共交通機関がほとんどありませんから、レンタカーで巡るのがお勧めです。リュベロンの村を巡るツアーはありますが、ポン・ジュリアンはメジャーな観光地ではないので、訪れるツアーは残念ながら見たことがありません。

 観光客が訪れるのはポン・ジュリアンの北西10kmほどのゴルド、北4kmほどのルシヨン、南4kmほどのボニューなどです。ポン・ジュリアンに行くなら一緒に訪れるのがお勧めです。

 レンタカーで行く場合、ポン・ジュリアンの近くに小さな道案内はありますが、Googleマップなどで案内させないとまずたどり着けません。私はレンタカーでアヴィニョンから来て、ゴルドからポン・ジュリアンに向かったのですが、途中道が狭く曲がりくねったところが多く、Googleマップのナビを見ながら走ったにもかかわらず分岐を曲がりそこねて何度か迷い、どちらの方向に進んでいるのかわからなくなりました。迷ったときに備えて時間に余裕を持っておいた方がいいでしょう。ただ迷ったおかげでミュールというこじんまりとした美しい村を見ることができました。

南仏リュベロンの村 ゴルド
なぜかゴルドの北にあるミュール(Murs)という村に来てしまいました。
リュベロン地方の細い道
ポン・ジュリアンの南にあるボニュー(Bonnieux)

Posted by roma-fan