セゴビア水道橋〜細くて優美な水道橋(スペイン)

 ローマから遠く離れたスペイン北部の街、セゴビアにある水道橋です。橋脚がとても細身で優美な印象を受けるとともに、よくこれが2千年間壊れずに残ったものだという愛おしいような気分にもさせられます。

セゴビア水道橋(スペイン) Segovia Aqueduct (Spain)




細身で薄い水道橋

 この水道橋の特徴はなんんといってもこの橋脚の細さです。古代ローマの水道橋の代表格であるフランスのポン・デュ・ガールがどっしりとした印象を受けるのと対照的で、軽快で優美な姿です。

 急斜面に囲まれた丘の上にあったセゴビアの街に水を届けるために架けられた水道橋で、水道橋の北端が直接旧市街に接続しています。今は水道橋の下にも街が広がっています。真下は広場になっていて、水道橋の下は自由に通り抜けられるのですが、足元から見てみると橋脚は横から見て細いだけでなく厚みもなく、水道橋自体がかなり薄いことがわかります。これはもう頼りなく感じるほどで、台風の風が吹き付けたらバタンと倒れてしまうのではないかと心配になってしまいます。厚みは2.4mしかありません。2.4mというとだいたい駐車場の車1台分の幅です。その厚みで9階建てのマンションに相当する28.5mもの高さのものが建っているのです。

東側から見たところ。右手、北側は旧市街に接続しています。
マンションなら9階建ての高さ。高さの割に厚みがありません。
どの石にも表面に持ち上げるための窪みがあります。

水道橋の構造

 水道橋は2段のアーチからなり、下の1段目が全体の3分の2ほどを占めています。細い橋脚が長く伸びたこの形のために優美な感じが増していると同時に、余計に細くて頼りなく感じる気がします。

 橋は石のブロックを積み上げたものですが、漆喰などの接着剤は使っていないそうです。つまりぴったりと接触面が合うように精密に加工した石を積み上げただけでできているのです。こんなに薄い橋を石を積み上げるだけで作り、2千年経った今もしっかりと建っている、というのは驚異としか言いようがありません。悪魔が造ったという言い伝えあったといいますが、そう思うのも無理はないですね。

 使われている石は花崗岩で、セゴビアの東から南にかけて横たわるグアダラマ山脈などから切り出したものです。ちなみにボン=デュ=ガールは石灰岩です。古代ローマでは橋も街道もその地方で手に入る材料をうまく使っているのです。

 下から見上げた写真をよく見るとわかるのですが、どの石も表面に小さな窪みがあります。これは石を持ち上げるためのものだそうです。おそらく「やっとこ」みたいなものをこの窪みに当てて挟み、クレーンで持ち上げて積み上げたのだと思われます。

 水道橋の中央部には、上のアーチの足元にアーチ4個分に渡る横長の長方形の石積みがあって、その上に祠のような壁龕があります。長方形の部分には文字が刻印されていた形跡があります。元は金色の文字で建設者と建設日が刻印されていたと言いますが、残念ながら今は摩耗してしまい判読できません。

 西面の壁龕には赤ちゃんを抱いた女性像が収まっています。これはセゴビアの守護聖人である聖母フエンシスラの像で、16世紀に置かれたものです。フエンシスラを祀った教会がアルカサルの先にあり、9月25日に祭典があるそうです。フエンシスラ教会から見上げるアルカサルの姿が美しいそうですが、訪れたときは水道橋しか眼中になかったので見ていません。今思えば見ておけよかった。東面の壁龕にはこの街の創設者という伝説のあるヘラクレス像がかつてあったそうですが、今は空っぽです。

下段が極端に高い2段のアーチです。
中央部の上の方に見えるのが聖フエンシスラ像。

古代ローマの街

 水道橋が接続している北側の崖の上がセゴビアの旧市街で、古代ローマ時代の街があったところです。崖には階段が付けられていて旧市街まで登れます。途中のテラスから眺めると水道橋が立体的に感じられ、背景にはグアダラマ山脈も見えて、下から見るのとはまた違った迫力があります。

水道橋脇の階段で旧市街に登れます。
旧市街への入口。
旧市街に登る途中から見た水道橋。向こう側は緩やかな坂になっているのがわかります。

 水道橋は旧市街の台地上を40mほど行ったところで家の塀と一体化して消えています。Googleマップの衛星写真を見るとそこから40mほど西に円形の水を分配する施設と思われるものが見えます。ニームやメリダにも同じものがあり、おそらくここで街の各方面に水を分配していたものと思われます。ただ民家の敷地の中のようでよく判りません。

最後は塀と一体化してしまいます。
ニームの分水施設。
Googleマップを見るとこんな感じのものが見えるのですが。

上流に続く水道橋

 旧市街の反対側は緩やかな斜面で、水道橋は180mほど直線で伸びています。直線部分のアーチの数は全部で44個(上下足せば88個)あります。

 谷底の公園から南側には水道橋に沿って道があり、レストランのテーブルが並んでいます。テーブルの脇を通って登っていくと下のアーチがだんだん縮んでいき、最後のアーチは下段の高さが1mくらいしかありません。

 途中東側に水飲み場がありますが、いつの時代のものでしょうか。

 

水道橋脇の坂道にレストランのテーブルが並びます。
水道級脇にある水飲み場。
坂を登りきったところ。下段のアーチは高さ1mほどです。

 水道橋はここで120度左に折れ曲がって東に向きを変えて更に600mほど続いていて、1段のアーチが75個も連なっています。両側が切り立った崖になっている深い谷に架かっているような印象だったのでこれは意外でした。

 このあたりは水道橋の両側に細い道を挟んで住宅が建ち並んでいます。本当に全く普通の住宅で、世界遺産との取り合わせがなんとも不思議です。大きな扉の奥が駐車場になっている家もあります。前の道が狭いので出し入れが大変そうです。水道橋を傷つけたりしたら一大事ですから、こういう遺跡の近くに暮らすのは大変そうですね。

水道橋は折れ曲がって更に伸びています。
水道橋脇の家の車庫から車が出てきました。

 水道橋は右に向きを変えていき、道はずっとこれに沿って緩やかに登っていきます。やがてアーチが小さくなってなくなり、石積みの壁のようになります。

水道橋と道を挟んで全く普通の民家が立ち並びます。
上流側の最初のアーチ。

 最後のアーチのすぐ先に、水道橋を覆うように建物が建っています。これは水道施設の一部で、中には大きな水槽があり、水が一旦この水槽に溜まって不純物が沈殿することで浄化されるようになっています。

水道橋を覆うように建つ浄水場の建物。
水は中の水槽に一旦溜まり、不純物が沈殿してきれいになった水が反対側から流れ出ます。

 最後は道路に突き当たって断面を見せて途切れています。

 ここでは高さが1mほどなので上にある導水管の部分が見えます。幅は30cmくらいです。ポン・デュ・ガールは導水管の幅が1mくらいあり、水道橋も厚みが6mもありますが、これはニームという大都市に水を運ぶものだからです。大地の上の比較的小規模な街であるセゴビアに水を届けるこの水道は給水量も小さかったはずで、だから水道橋が細いのです。

水道橋が残っているのはここまで。
導水路は幅30cmほど
がっしりした印象のポン・デュ・ガール。

 水源はこの先15kmほど離れたフリオ川の堰です。道路の向こう側にも歩道が続いていますが、水道橋の遺構はなさそうで、ここから上流側の水道の経路がどうなっていたのかわかりません。

 訪れたときは知らなかったのですが、この先650mほど上流側にもう一つ沈殿槽の建物が残っています。これら二つの沈殿槽で浄化されてきれいになった水が街に入るようになっていました。

歴史

 水道橋には判読可能な碑文がないため建造年代は不明です。1世紀終わり頃の建造と言われていましたが、最近の研究では112年というのが有力なようです。これはスペイン出身の皇帝トラヤヌスの時代です。(トラヤヌスはセビリヤ近くのイタリカ出身です。)

 水道橋はこの地を支配していたイスラム教徒によって一部が破壊されたり、レコンキスタ後に修復されたりといったことがありましたが、なんと1906年まで街に水を供給していたそうです。(NHK世界ふれあい街歩き)

  セゴビアの旧市街は独立した台地の上にあります。北にはエレスマ川、南にはクラモレス川が流れて深い谷を作っていて、台地の北西端の真下で合流しています。そして水道橋が接続している南東側は崖で断ち切られたようになっています。四周が切り立った崖で守るのには最適な土地なので、古くから人が住んでいたようです。

 水道橋のある南側は川がないので、崖と谷がどのように形成されたのかは謎です。古代ローマ人が防御のために人工的に造ったという可能性はあるのでしょうか。 ローマ以前の住民の技術でこのような地形の改良ができるとは思えません。元は川が流れていて谷を刻み、その後に流路が変わったのかもしれません。

 ローマがセゴビアをいつ征服したのかははっきりしませんが、紀元前80年ころとも言われています。ローマの街道網の中でセゴビアは特別重要な立地でもなく、しかも台地の上という限られた土地に造られた街なので、水道橋が目立つ割にローマ都市としての規模はさほどのものではなかったものと思われます。だから水道橋ができた時期も割と遅いのでしょう。

 セゴビアには水道橋以外に目立ったローマ遺跡が残っていませんが、そもそもそれほど大規模な建造物がなかったのかもしれません。古代ローマ時代も街は城壁に囲まれていたはずですが、今残っている城壁は11世紀に再建されたものです。

  台地の北東端に突き出したところに建つアルカサルは、古代ローマ時代の建物の土台の上に建てられていて、地下には古代ローマ時代に作られた基礎が残っています。アルカサルの建つところは狭い崖で切り離されていて、橋で渡ります。城塞として理想的な地形ですが、これも元々そうだったのか、城の防御のために人工的に造ったのかわかりません。

アルカサルの土台は古代ローマ時代位もの。
入口に深い谷があって橋で渡ります。

行き方

 セゴビアの玄関口は首都マドリードです。マドリードからは100kmほどで、日帰りでも十分行ける距離です。所要時間は車で1時間半、高速鉄道で30分、ローカル列車で2時間弱、バスで1時間半程度です。

 高速鉄道は早いのですが、駅がローカル鉄道とは別で、市街地から4.5kmほど離れているためバスに乗り継ぐ必要がありことに注意が必要です。

 車の場合は高速道路がセゴビアまで通じています。私はレンタカーでマドリード空港から行きましたが、なぜかマドリードを出てしばらくするとナビが高速を降りてグアダラマ山脈の峠を超える道を案内し始めて、距離的には短いのですが30分くらい余計に時間がかかってしまいました。2車線の道で峠もさほど高くありませんでしたが、山道なので運転に不慣れだと苦労しそうな道ですから要注意です。私は外国で山道を走ったことが何度かありますが、それでもこのときはこんな道を右側通行で走る心の準備ができておらず、しかもレンタカー初日だったので面食らいました。

マドリードからセゴビアまで高速道路が通じています。
なぜか途中で高速を降りて山越え。しかも霧がかかってます。

 水道橋の東側のパードレ・クラレ―通り(Av. del Padre Claret)の地下に新しい駐車場があり、これが水道橋に一番近くて便利です。ここは出口が水道橋の目の前で、地下から出ると目の前に水道橋が現れるのが面白いところです。他には少し離れますが水道橋の西方のエセキエル・ゴンサレス通り(Paseo Ezequiel González)にも地下駐車場があります。

パードレ・クラレ―通り地下の新しい駐車場。
水道橋の東側のカーブした坂道がパードレ・クラレ―通りで、その地下が駐車場です。
パードレ・クラレ―通り地下駐車場の出口は水道橋が目の前。

 旧市街には大聖堂やアルカサルといった見どころがあります。アルカサルはトンガリ屋根が特徴で、ディズニー映画「白雪姫」の城のモデルだそうです。ちなみに各地のディズニーランドにある城とは関係ありません。東京ディズニーランドにあるのはシンデレラ城でモデルはノイシュバンシュタイン城ですね。

旧市街の中心マヨール広場。左手が大聖堂、右手が市役所です。
丘の北の突端にあるトンガリ屋根のアルカサル。

 私は2013年に朝マドリード空港を発ってセゴビアに来ました。そしてセゴビア観光後は城壁の街アヴィラから古代ローマ橋の残るサラマンカに行って宿泊しました。メリダやアルカンタラ橋などスペインの古代ローマ遺跡を巡ったこの旅の様子は旅行記をご覧ください。

旅行記はこちら
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Posted by roma-fan