アオスタ渓谷入口のドンナス村にあるローマ街道跡(イタリア)

 イタリア北西部からアルプスを越えてガリアに至る街道がアオスタ渓谷に入ってすぐのところに街道跡が残っています。崖を削って作った道で、門のように3mほどの短いトンネルがあるのが特徴です。岩に轍が刻まれていて、道の上に立つとここを確かに人が通ったのだという実感が湧いてきます。





街道跡

 イタリア北部、長靴型の半島の付け根に横たわるポー平原から、その北西方向に伸びるアオスタ渓谷を遡り、アルプスをグラン・サン・ベルナール峠もしくはプチ・サン・ベルナール峠で越えてガリアに至る道がありました。その街道がアオスタ渓谷に入ってすぐのドンナス村の集落の西に、100mほどのローマ街道跡が残っています。

 ローマ街道というと普通は石で舗装した道ですが、ここでは崖を削って道を造ってあり、路面は岩盤そのものです。

 両側に山が迫って谷が狭まっていますから、元は崖っぷちを川が流れていて、崖を削って道を通すしかなかったのだと思われます。

 石畳には車輪によって刻まれた二筋の轍がはっきりと残っています。2000年前の人々が確かにここを通っていたのだということが実感として感じられて、うれしくなってしまいます。

二筋の轍がくっきりと刻まれています。
2000年前の人々が確かにここを通っていたのです。

アーチ

 そして面白いのが岩をくり抜いたトンネルです。わずか3m程の区間だけ崖を削らずに残して、その中をくり抜いて道を通しているのです。中世には扉が付けられていたそうですから徴税のための関所として使われていたと思われますが、古代ローマ時代には往来は自由で関所はなかったはずです。一体なんのために設けられたのでしょうか。

ここだけ崖を削り残しています。

 凱旋門に見えなくもありません。アッピア街道のローマとナポリの中間辺りにあるテッラチーナにも、同じように崖を削って街道を通したところがあり、そこには崖を削って造った凱旋門があります。しかしテッラチーナのものは誰が見ても凱旋門という代物。ここドンナスのものは装飾も文字もなく、凱旋門にしては高さや幅に比べて奥行きが長すぎてバランスが取れていないようにも思え、凱旋門というには無理があります。

 ガリア方面から攻め込まれたときの防御施設だったのかもしれません。アルプスの向こうはガリアですし、そもそもアオスタ辺りがアウグストゥスの時代にようやく征服できた土地です。このルートかどうかは定かではありませんが、かつてカルタゴの将軍ハンニバルが象を連れてアルプスを越え、攻め込んできたこともあります。そう考えると防御のためというのもありそうです。

何のための構造物なのでしょうか。

マイルストーン

 アーチからアオスタ方向に100mほどのところにマイルストーンがあります。アッピア街道の第一マイルストーンと同じ円柱形ですが、後ろは崖と一体化しています。崖から円柱形の表側3/4だけを削り出したようです。

一見普通のマイルストーンのようです。
しかし後ろは崖とつながっています。
崖を削って円筒形にしたのです。

 円柱を造って置いた方が楽なような気もしますが、石があるからそのまま有効活用したということでしょうか。その場の状況に応じて臨機応変に柔軟にやった、とも言えますが、なんとなく適当に行き当たりばったりでやったようにも手を抜いているようにも思えます。でも頭を使っていることは確かです。譲れない理念はしっかりあるけれど、ちゃんと守るべきことが押さえられていれば、それ以外の部分は頭を使って柔軟に手を抜いたり楽したりする、というように私には思えます。ここでは高性能な舗装道路を造りマイルストーンを設置する、というのが絶対に譲れないところで、材料や造り方は二の次だったのではないでしょうか。古代ローマのこういう柔軟性、適当さが好きです。

 一番上には「XXXVI」と彫られているのがはっきり見えます。数字の36ですから、36マイル=53.3kmに当たります(1ローママイルは1.48km)。ここから50kmというとアオスタがそのくらいで、他に大きな都市が見当たりませんから、アオスタからの距離なのでしょう。

XXXVI=36マイルを示します。

 そもそもマイルストーンの数字ってどういう定義なのでしょう。今まで漠然とローマからの距離を書くのかと思っていました。でもそれだと数字が大きくなりすぎるので、それぞれの街道の起点からの距離でしょうか。起点というとローマに近い側かと思っていましたが、この数字がアオスタからの距離だとするとそれも違います。この街道の起点がアオスタだったのでしょうか。今後調べてみたいと思います。

ガリア街道?

 ここを通るのは、ポー平原の真ん中にあるプリチェンツァからガリアに抜ける街道です。

 プリチェンツァは古代にはプラケンティアという名で、二つの主要街道(エミリア街道とポストゥミア街道)が交差する交通の要衝でした。そこからメディオラヌム(現代のミラノ)を経て、イヴレーアという街からアオスタ渓谷に入ります。この街道跡があるのはそこから17kmほど渓谷に入ったところです。

 アオスタ渓谷を遡ってアルプス山脈を超えるルートには古くから道が通っていましたが、ローマ街道として整備されたのはアウグストゥスの時代以降と思われます。なぜならアオスタ周辺を征服したのはアウグストゥスだからで、それは紀元前25年のことです。この石畳やアーチ、それとすぐ東にあるローマ橋ポン・サン・マルタンもローマ街道整備の一環として造られたのでしょう。

 アオスタからは街道が2つに別れ、北にグラン・サン・ベルナール峠でスイスに、西にプチ・サン・ベルナール峠を超えてフランスに抜けています。アルプスを越えてガリアに至るローマ街道は、紀元前2世紀にポー平原の西のモンジュネーヴル峠を超えるドミティア街道が造られ、これがメインルートでした。しかしガリア北部(フランス)や東部(スイス、ドイツ)に行く場合にはアオスタ渓谷経由のこちらのルートの方が近道なので、この街道の整備後はガリア北部、東部へのメインルートになったと思われます。

 ところでこの街道は名前がわかりません。Wikipedia英語版をはじめ “Via delle Gallie” という名を載せているところがありますが、これは「ガリアの道」という意味のイタリア語です。単に道を説明しているだけのように思え、元々の名前かどうか微妙です。他には”Via Publica “(共和国街道?)や “Via Delle Gallie Consular”(ガリア執政官街道?)というのも見かけました。アッピア街道に始まるローマ街道には、建設したケンソルや属州総督などの名前がつけられることが多いのですが、そのような名前は見当たりませんでした。名無しなんでしょうか。それとも記録が残っていないだけなのでしょうか。重要な街道なのに不思議です。

行き方

 ドンナスにイタリア鉄道(トレニタリア)の駅があります。ローカル線で列車本数が少ないので時刻を確かめて行きましょう。

 高速道路がドラ・バルテア川沿いを走っていて、最寄りの出口は Pont Saint Martin です。一番近い大都市はミラノで車で1時間45分ほどです。トリノ からは1時間25分、アオスタからは1時間です。

 大きな駐車場があって、ドンナスの集落から西に700m程のところにあるロータリー(ラン・アバウト)から駐車場に降る分岐があります。

ロータリー(ラン・アバウト)から駐車場への分岐があります。
道路を潜った右手に古代ローマ街道跡があります。

 東3kmに古代ローマ橋ポン・サン・マルタン(Pont Saint Martin)があり、一緒に訪れるのがお勧めです。

東隣の村にある古代ローマ橋ポン・サン・マルタン(Pont Saint Martin)。

 アオスタ渓谷には古城が散在していますが、ドンナスのローマ街道跡から西に1.5kmのところにバール城砦(Forte di Bard)という岩山に聳える巨大な古城があります。

 城の西側の道路沿いに駐車場の入り口があり、3つの斜行エレベーターで上まで登れます。西に500m程のところには Hone Bard駅がありますが、ここは通過する列車もあるので要注意です。

バール城塞(Forte di Bard)。
バール城塞の斜行エレベーター。

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Posted by roma-fan