コウノトリの巣ミラグロス水道橋とメリダの三つの水道(スペイン)

 スペインのメリダにあるミラグロス水道橋は、柱に赤いラインが規則正しく入った独特の姿です。この人間の英知の象徴である水道橋の上に、今ではコウノトリが巣を造っていて、諸行無常を感じずにはいられません。




コウノトリの巣、ミラグロス水道橋

 メリダは今のスペイン西部からポルトガルにかけての地域に置かれたローマの属州ルシタニアの州都、エメリタ・アウグスタが起源です。この重要な都市に住む人々の生活を支えるため、コルナルボ水道、プルセルピナ水道、ラス・トーマス水道の3本の水道が引かれていました。首都ローマからはるか遠くに離れたここでも、ほとんど同じ水準の生活を送ることができたのです。

 このうち古代ローマ時代の姿が地上に残っているのは、プルセルピナ水道の一部であるミラグロス水道橋だけです。

 メリダの街は西に大河グアディアナ川、街の北側にこの支流アルバレガス川が流れています。この北のアルバレガス川を渡るのがミラグロス水道橋で、長さ190m程が残っています。

 3重のアーチで高さは25m、8階建のマンションに相当する大きなものです。白っぽい花崗岩の間に赤いレンガが規則正しく挟まれていて、他では見たことがない美しい外観です。

白っぽい花崗岩の間に赤いレンガが挟まれている独特の外観です。

 残念ながらアーチは所々失われています。川沿いを走る線路の街側には柱だけが7本残っています。

街側から川の方を見たところ。芝生の向こうが線路でその向こうが川原です。

 ミラグロス Milagros というのはスペイン語で「奇跡」(英語の miracle)という意味です。古代ローマの技術が失われた時代の人の目には奇跡と映ったのでしょう。各地にある「悪魔の橋」と同じようなものですね。

 柱のてっぺんやアーチの上にコウノトリの巣があって、夫婦で仲良く羽を休めています。正確にはこれはコウノトリの親戚のシュバシコウという鳥で、この名前は「朱色の嘴のコウノトリ」という意味です。もっともこれは朱色というより黄色ですね。いわゆるコウノトリは日本や中国など東アジアの鳥で、くちばしの色が黒です。ヨーロッパで赤ちゃんを運んでくると言われるのはもちろんこのシュバシコウの方です。アフリカで越冬するのだそうです。ここを訪れたのは10月終わりですから、この鳥たちはまもなくアフリカに旅立つのでしょう。

水道橋の残骸の上に巣を造っているコウノトリ(シュバシコウ)

 水道橋を街の方に150mくらい延長したところに、水道の終点である分水施設、カステルム・アクアエの遺跡があります。古代ローマ時代、ここは水道が城壁の中に入ってすぐの場所でした。ここで水は複数の鉛の水道管に分配されて目的地まで運ばれました。カステルム・アクアエの代表はローマのテルミニ駅近くのヴィットリオ・エマヌエーレ2世広場にあるニンファエウム・アレクサンドリです。

 この分水施設はガイドブックに載っておらず、私はたまたま通りかかって知りました。水道橋のあるところからはまっすぐ行く道がなく、西側から街の中心部に向かうカルバリオ通りを行くと登り坂の途中にあります。

カルバリオ通り。
水道の分水施設(カステルム・アクアエ)。
かつては壁や彫刻に囲まれていました。

 ミラグロス水道橋のすぐ西側に架かる橋は古代ローマ時代に造られたアルバレガス橋です。グアディアナ川に架かるローマ橋は有名ですが、こちらは特に案内板などもありません。訪れたときには車や人が普通に渡っていて、古代ローマ橋だとは気付きませんでした。

ミラグロス水道橋のすぐ隣りにある古代ローマ橋アルバレガス橋。
アーチの美しい橋です。
普通に車や人が行き来しています。

水源はプルセルピナ貯水池

 ミラグロス水道橋を通るプルセルピナ水道は、メリダの北北西5kmにあるプルセルピナ貯水池から引かれています。これが水源かと思いきや、この貯水池に水を引き入れているのもまたローマ人が造った水道なのです。Googleマップの航空写真で見ると、貯水池の北側から北東にアデルファス川を3kmほど遡った辺りまで水道が続いているのが見えます。これも含めて水道の全長は10kmになります。

メリダの北にある「し」を右に傾けたようなのがプルセルピナ貯水池。

 スペインのこの辺りは雨の降り方が偏っていて、9月後半から5月にかけて雨が多く、6月から9月前半は極端に降水量が少なくなります。そのため貯水池が必要だったのでしょう。

 乾燥した大地に水が染み込んで失われるのを防ぐため、水源から水道を引いて貯水池に水を確実に送り込み、そこに水を貯めることで、1年を通して安定的に水を供給できるようにしたのです。貯水池は南北1.2km、東西1km程もある巨大なものです。西側に石を積み上げたダムがあって水を堰き止めています。これはコンクリートの基礎に花崗岩を積み上げて造られたものです。ダムとしては現役で、古代のものと知らなければ最近造られたものと思ってしまいそうです。

 取水口は水中にあり、地下の水路でメリダの街まで水を運びました。ローマ水道というと水道橋が目立つのでずっと地上を通ったと思いがちですが、実際には地下を通ったり山をトンネルで貫くところも多いので、この水道が地下を通っていたというのも珍しいことではありません。

 造られたのは1世紀と言われています。メリダではコルナルボ水道が一番古いので、この水道は人口増加で増設されたものと思われます。メリダにはトラヤヌスの凱旋門があり、グアディアナ川に架かるローマ橋ができたのもトラヤヌスの時代です。古代ローマでは皇帝や貴族が私費を投じて公共事業を行いましたから、イベリア半島出身のこの皇帝の時代に街が発展して人口が増え、そのために水道橋が増設されたとしても不思議はありません。トラヤヌスの在位は紀元98年から117年ですから、2世紀初めに建造された可能性が高いと思います。

古代の水道橋を材料にしたサン・ラザロ水道橋(ラス・トーマス水道)

 ミラグロス水道橋からアルバレガス川を上流(東)に約1.1kmのところにサン・ラザロ水道橋があります。これは16世紀にアラブ人が造ったものですが、もともとここには古代ローマ時代の水道橋が通っていました。北から北東にかけての複数の川を水源とし、地下を通って引かれた水道でした。

夕方のサン・ラザロ水道橋。

 古代ローマ時代のものは街のそばに柱3本が残るだけです。古代ローマのものは間に赤いレンガが挟まったミラグロス水道橋と同じ造りです。

街の近くに古代ローマ時代の残骸がわずか柱3本だけ残っています。

 サン・ラザロ水道橋は古代の水道橋の柱を再利用したそうですが、古代ローマ時代の3本の柱とサン・ラザロ水道橋は少しずれていて両者はルートが違いますから、ほとんど造り替えられていることが判ります。

右がサン・ラザロ水道橋、左が古代ローマの水道橋です。
古代ローマの水道橋はサン・ラザロ水道橋とルートがずれています。

 南端近くでは古代ローマの公衆浴場が発掘中です。

発掘中の古代ローマの公衆浴場。
側には戦車競技場もあります。庶民の娯楽の場所だったのでしょう。

 サン・ラザロ水道橋の周囲は住宅地です。生活用の通路が水道橋に開けられていて、買い物や散歩の人、子供たちが通り抜けていきます。東側に接して公園があり、いろいろな年齢の子供たちが遊んでいました。

サン・ラザロ水道橋に開けられた生活用の通路。両側に構想アパートが建っています。
公園で子どもたちが遊んでいました。

最古のコルナルボ水道

 メリダで最初に作られたのがコルナルボ水道です。

 コルナルボ水道はメリダの街の北西14kmほどにあるコルナルボ貯水池から引かれています。最初に造られたときはダムはなく、川から取水していました。後にプルセルピナダムが造られた頃にこちらにもダムが建設され、貯水池からの取水に切り替えられました。プルセルピナ貯水池と同じように、この貯水池も更に上流に水道が続いていて、これによって水を効率よく集めることができるようになっていました。

 この水道はほとんどが地下を通っていて、水道橋もありませんでしたから、目立った遺構は残っていません。街には東側から入ります。街中に僅かに遺跡が残っているようです。

行き方

 マドリードからメリダへは列車で約5時間です。高速鉄道AVEが建設中で、これができれば劇的に早くなるはずです。距離が同じくらいのコルドバまでAVEで1時間40分ですから、同程度で行けるようになるでしょう。2023年完成予定とされていますが、スペインですから本当にできるか定かではありません。

 ミラグロス水道橋とサン・ラザロ水道橋は駅や中心地から歩いて行けます。どちらも街の北側を流れるアルバレガス川に架かる橋ですが、川の手前を鉄道が通っていて、線路を越える必要があります。

 ミラグロス水道橋は街の北側に坂を下り、線路の下に開けられた通路を潜って河原に出たところにあります。

ミラグロス水道橋に通じる線路を潜る通路。

 サン・ラザロ水道橋の方はエストレ・マドゥーラ通りの南側にある歩行者用のトンネルで線路を潜ります。この入り口が非常に判りにくいので注意してください。Googleマップで経路検索しても、道があると認識していないようで、ここを通るルートは表示されません。(2020年2月現在)

 ミラグロス水道橋や駅のある西側からだと、エストレ・マドゥーラ通りを東に行き、線路をくぐらず直進する坂道を登ったところに通路の入口があります。

 円形闘技場の方から行く場合はカボ・ベルデ通りを北上し、線路の手前でエストレ・マドゥーラ通りに左折してすぐの右側です

中央の下り坂を降りると線路を潜る歩道です。

 古代ローマ時代の3本の柱は街に近い南側で水道橋が途切れるところの脇にあります。家のすぐ側に接するように建っています。

 サン・ラザロ水道橋の東にはこれも古代ローマ時代の戦車競技場の遺跡があります。ここは古代の戦車競技場の姿がよく残っています。

 メリダは中心都市であり続けたにもかかわらず、古代ローマの遺跡がたくさん残っています。国立ローマ博物館の展示物も見事なものが大量にあります。古代ローマ好きなら1日見ていても飽きることはないでしょう。

参考資料

更新履歴

  • 2020/4/9 新規投稿

Posted by roma-fan