南仏ニームのカステルム・アクアエ〜水道の分水施設(フランス)
南仏プロヴァンスの街ニームのカステルム・アクアエ(castellum aquae)を紹介します。「何それ?」と思う人が大多数でしょう。しかも数多くのローマ遺跡が残るニームの中でも超マイナーな存在です。しかし古代ローマの水道の仕組みが解る貴重な遺跡です。
カステルム・アクアエとは?
カステルム・アクアエ(castellum aquae)というのは水道の水を複数の経路に分配する施設です。ここから先は鉛製の水道管で最終目的地まで水が届けられました。
古代ローマの都市には必ず水道があるので、水道の分水施設であるカステルム・アクアエはどんな都市にもあったはずですが、遺構はあまり残っていません。Wikipediaのカステルム・アクアエの項で紹介されているのも、ローマのテルミニ駅近くにあるニンファエウム・アレクサンドリとポンペイのものだけです。でもこのニームのものも載っていないので、もしかしたら地味だから紹介されないだけで他にもあるのかもしれません。現にスペインのメリダで街を歩いていたらカステルム・アクアエの遺跡に偶然出会いました。いずれにしてもなかなか見ることができないのは確かです。
形と機能
ニームのカステルム・アクアエは直径5.9m、深さ1.4mの円形のプールです。道路からは奥に見える四角い空洞が水道につながっていたところで、ここから水が円形のプールに流れ込み、手前側にある直径40cmの10個の丸い穴につながった水道管に流れ出ていました。穴の大きさは同じに見えるので、水は均等に分配されていたと思われます。穴はプールの底から少し上がったところに開いていて、不純物を沈殿させて取り除く役割も果たしていました。
ニーム、ローマ、ポンペイ 、メリダのものはどれも形や構造が違うようですが、このニームのものは一度説明を聞けばひと目で仕組みがわかります。古代ローマの水道の仕組みを知るにはうってつけです。
水道からの入り口は少し角度が付けられています。おそらく中で水が渦を巻くようにするためで、それによって水が滞留することなく均等に水道管に流れ出る効果があったものと思われます。
ポンペイに残るカステルム・アクアエは出口を個別に閉め切ることができるようになっていて、水が少ない時は給水先の調整ができたようですが、ここニームのものにはそのような設備は見つかっていません。同じ地中海沿いで夏に降水量が少ないのは一緒なので、調整は必要だと思うのですが、なぜ調整の設備がなかったのか理由はわかりません。水量の変化が少なかったのでしょうか。
水道管は二つ一組になっていると言いますが、見た目ではよくわかりませんでした。ここから先、街にどのように配水されていたのかはよくわかっていません。
歩道からは見えませんが手前の底には3つの排水口があり、下水に水を流してプールを空にすることができました。水槽の手前側の水道管があったはずのところの下にある蓋付きの溝が、この排水口から水を流す通り道です。空にするのは清掃や修復のためです。ローマの凄さはこうした施設をただ造るだけでなく、長期間に渡って維持管理したことですが、そのためにメンテナンスのための構造や設備が予めきちんと造り込んでありました。
壁に描かれていた絵
プールの周囲には建物の土台や壁の残骸があります。今のようにプールが剥き出しで設置されていたのではなく、元は正方形の列柱の建物がプールを覆っていました。カステルムというのはその建物全体を指した言葉です。
1844年に発見された当時、壁にはイルカと魚が描かれているのが見えていたそうです。今は色褪せて何も見えません。これは見てみたかった。ちなみにポンペイのものは今でも絵が残っています。
若いころ日本の古代史研究者である上田正昭さんの授業で、高松塚古墳の壁画を発掘した時のことを聞いたことがあります。水に浸かった状態で発掘されたものが、水がなくなって空気に触れた途端、みるみる色あせたそうです。発掘は破壊だから慎重にやらなければならない、とおっしゃっていました。高松塚の壁画はその後カビで大幅に劣化し、今では剥がして修復した上で室内で保管されています。秦の始皇帝陵は技術が整うまでは発掘しないと決めているそうです。貴重な遺産を将来に残すためにはこれも一つのやり方です。でも箸墓に埋まっているもの(卑弥呼が魏から贈られた銅鏡100枚?)と、始皇帝陵の水銀の川と海が広がる地下世界はやっぱり見てみたいものです。
(http://www.romanaqueducts.info/aquasite/index.html)
水道のルートと水道橋
この水道の水源はニームから北北東に直線距離で20km離れたユゼスにある湧き水です。水道はユゼスとニームの間にある台地を大きく東の方に迂回しているため、全長が50kmもあります。更にユゼスとニームの間にはガルドン川が流れていて、水道は川を橋で越えています。これが誰もが知るローマ水道橋の代表選手、ポン・デュ・ガールです。首都ローマの外にあるものでは一番有名と言っていいと思いますが、実物を見てもその巨大さに圧倒されます。
ポン・デュ・ガールは紀元前にアグリッパによって造られた、と以前は言われていて、いまだに旅行ガイドやネットでその説明をよく見かけます。しかし最新の研究では、ポン・デュ・ガールを含めたこの水道が造られたのは1世紀後半と考えられています。当然ながら水道の構成要素であるカステルム・アクアエが造られたのもその時です。
紀元前にカエサルが配下の退役兵に土地を与えたのが、ニームのローマ都市としての始まりです。それ以前から今のイタリアとスペインとを結ぶローマ街道であるドミティア街道上の都市として重要な位置を占めていましたが、1世紀にはこの辺りは平穏で大きな出来事がなく、そのため逆にどのような状態だったのかよく解りません。水道橋が新設されたのですから安定して発展し人口が増えていたのでしょう。
同じ水道の一部でありながら、ポン・デュ・ガールに比べるとカステルム・アクアエは小さくてとても地味です。巨大建築も確かに驚異の存在ではあるのですが、私はインスラやパン屋、公衆トイレなんていうものが、古代ローマ人の現代に引けを取らない豊かな生活、いやもしかすると少なくとも精神的には現代人より豊かな生活を垣間見ることができて好きです。カステルム・アクアエもこれを見ると古代ローマ人の知恵と高度な技術に支えられた人々の豊かな生活が目に浮かぶようで、私にとってはポン・デュ・ガールと同じくらいの存在感があります。
行き方
ニームはパリ・リヨン駅からTGVで3時間です。
カステルムはニーム駅から北に1.6km、円形闘技場からは900mです。
車の場合は道が細くて近くには停められないので、街中の駐車場に入れて歩くのがいいでしょう。円形闘技場の南東側には大きな地下駐車場があります。
カステルム・アクアエがあるのはニームの市街地の北部、北に向かって上り坂になったところで、ニーム大学の西側の外壁に沿うランペス通り(Rue de la Lampeze)沿いにあります。円形闘技場やメゾン・カレからは北、マーニュの塔の東に当たります。
非常に判りにくい場所にある上に案内はほとんどなく、ランペス通りも細い道なので、私は散々迷った後にやっとたどり着きました。今ならGoogleマップに ”Castellum Aquae” として載っていますからルート検索すれば簡単にたどり着けるでしょう。
ニーム大学の建物は元は17世紀に建てられたフォート・ボーバン(Fort Vauban)という要塞で、その後刑務所に使われた後、1995年に大学になりました。見た目はまさに要塞です。
ニームには見栄えがして判りやすいローマ遺跡があります。展示が分かり易い円形闘技場、保存状態がよく美しい神殿メゾン・カレ、城壁に設けられた見張り塔であるマーニュ塔です。円形闘技場には剣闘士の種類がイラスト付きで説明されていて、見ているだけで面白く、剣闘士の姿や試合の様子の理解が深まりました。
参考文献
- Wikipediaフランス語版 ”Castellum divisorium de Nîmes”
https://fr.m.wikipedia.org/wiki/Castellum_divisorium_de_N%C3%AEmes - nîmes.fr ”LE CASTELLUM”
http://www.nimes.fr/index.php?id=2429 - Structurae ”Castellum divisorium de Nîmes”
https://structurae.net/en/structures/castellum-divisorium-de-nimes - ROMAN AQUADUCTS
http://www.romanaqueducts.info/index.html
更新履歴
- 2020/3/3 新規投稿
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