属州の州都コルドバのローマ橋(スペイン)

 スペイン南部、アンダルシア地方にある都市コルドバにローマ橋が残っています。古代ローマ時代のものはあまり残っていませんが、支柱やアーチの一部はオリジナルのものです。


橋の姿

 コルドバはローマ橋のほか、イスラム教とキリスト教が混合したメスキータなど見どころの多い街です。これは古代ローマのイベリア半島経営の拠点とされ、その後もイスラム王朝の後ウマイヤ朝の首都とされるなどして栄え続けたためです。

 ローマ橋は街の南東端を流れるグアダルキビール川に架かっています。長さ280m、幅9mで、16個のアーチからなります。

 多くのローマ橋と同じく、橋脚の上流側が三角形に突き出していて、水流の圧力を逸らす「カットウォーター」と呼ばれる構造になっています。水圧を緩和する穴が空いていないところを見ると、この辺りは流れが緩やかだったものと思われます。

グアダルキビール川に架かるローマ橋とコルドバの街。
橋脚の上流側は「カットウォーター」と呼ばれる水流の圧力を減じる構造になっています。

 イスラム勢力がこの地を支配するようになって以来この橋は何度も改修されていて、古代ローマ時代のものは目に見えるところにはほとんど残されていないようです。それでも支柱のうち15本はローマ時代の石材であることが確認でき、街の反対側から2つ目と3つ目のアーチはオリジナルのものと言います。

 橋は歩行者専用です。以前は自動車も通行していましたが、2003年に上流側にミラフローレス橋が建設されて歩行者専用となりました。

 橋の路面は白っぽい花崗岩で舗装されていて、古代から続く橋という雰囲気は残念ながらありません。これは2006年から2008年にかけての修復工事によるもので、このときプエンテ門やカラオーラの塔を含めて大掛かりな修復工事が行われ、ローマ橋は見た目が大きく変わったようです。

路面は白っぽい花崗岩できれいに舗装されています。古代から残る橋という雰囲気はありません。

 橋の中央にはコルドバの守護聖人である聖ラファエルの像があります。17世紀に建てられてものです。

ローマ橋中央部にあるコルドバの守護聖人、聖ラファエルの像。

 橋の手前にプエンテ門(Puerta del Puente)が建っています。これは16世紀の「太陽の沈まぬ帝国」スペインの国王フェリペ2世がこの街を訪れたことを記念して建てられたものですが、この場所にはもともと古代ローマ時代に街を取り囲む城壁の門があり、街への出入り口となっていました。

橋のたもとにあるプエンテ門(Puerta del Puente)。この場所には古代に街を取り囲む城壁の橋があり、街への出入り口となっていました。
コルドバの街を取り囲む城壁。赤が古代ローマの城壁です。ローマ橋は左側に描かれている橋で、城門は南面の中央やや西寄りの位置にありました。

 街の対岸の橋の付け根を塞ぐように建っているのはカラオーラの塔といい、13世紀にイスラム王朝、ムワッヒド朝によって建てられた街を守る要塞です。もともとは四角い2つの塔でしたが、14世紀にキリスト教のカスティーリャ王国の手で増築されて今の姿になりました。

街の対岸の橋のたもとに13世紀に建てられたカラオーラの塔。街を守る要塞です。

ヒスパニア属州

 イベリア半島に進出し地中海沿いを手に入れた古代ローマは、紀元前2世紀始めに東にヒスパニア・キテリオール、西にヒスパニア・ウルテリオールという2つの属州を置き、コルドバはヒスパニア・ウルテリオールの首都とされました。

 ヒスパニア・ウルテリオールは現在のアンダルシア地方とほぼ重なります。この地方の中心はグアダルキビール川沿いの平野で、ここコルドバから川を下ると下流に大都市セビリアがあります。平野の北にはシエラ・モレナ山脈が連なり、天然の境界をなしています。当時、境界の北側にはまだ征服できていない土地が広がっていました。この地方の南部の海沿いには、グラナダから見えるシェラ・ネバダ山脈を含むペティカ山系が連なる山勝ちの地形です。

 グアダルキビール川流域には紀元前8世紀ころにタルテッソス王国があり、豊富な鉱山資源で繁栄したと伝えられています。ローマ進出時にはその末裔とされるトゥルデタニィ人がやはり鉱山資源の交易で栄えていました。ローマはこれを手中に収めて莫大な利益を得たのです。

共和制時代のヒスパニアの属州。コルドバは西側のヒスパニア・ウルテリオールの州都でした。
Hispania_1a_division_provincial.PNG: Hispaderivative work: Jkwchui, GPL, via Wikimedia Commons

陸運と水運の拠点

 コルドバはイベリア半島を横断するアウグスタ街道上にあります。ローマ門はコルドバからイベリア半島南西端の海岸沿いの街ガデス(現・カディス)に向かう街道の出入り口です。

 ヒスパニアの属州とイタリアとの間はドミティア街道とアウグスタ街道で結ばれていました。アルプスの現イタリア・フランス国境から南仏を通って、ドミティア街道が現フランス・スペイン国境近くの街ナルボ・マルティウス(現・ナルボンヌ)まで通じ、そこからアウグスタ街道がイベリア半島南部を横断していました。アウグスタ街道はナルボンヌからヒスパニア・キテリオールの海沿いに連なる都市を縫ってカルタゴ・ノヴァ(現在のカルタヘナ)に行き、そこから内陸に入ってグアダルキビール川沿いに出てコルドバに至ります。コルドバの街には東の城門から入っていました。

 その先、コルドバの街を出てローマ橋を渡った街道は、川から南の方に離れて現在のエシハ、カルモナ(共に古代ローマ都市)を経てヒスパリス(現在のセビリヤ)に通じ、イベリア半島南西端にあるカディスに至ります。

イベリア半島を横断するローマ街道、アウグスタ街道。
© Sémhur (2011)Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0

 地中海からセビリアまでは川幅が広く今でも大型船が航行することができますが、古代にはコルドバまで航行することができ、水運の拠点ともなっていました。

 後にアウグストゥスがスペインの領土を広げ、属州を3つに再編しました。その際にスペイン南部はヒスパニア・バエティカ属州となり、コルドバは引き続きその州都とされました。ヒスパニア・バエティカにはヒスパニア・ウルテリオールの東部は含まれず、代わりに北のシエラ・モレナ山脈周辺が組み入れられ、北の境界線がグアディアナ川とされました。

 このときグアディアナ川の北側にはルシタニア属州が置かれました。その州都エメリタ・アウグスタ(現在のメリダ)はコルドバの北西180kmほどのところにあり、コルドバ・メリダ間にはローマ街道が通じていました。メリダからは北にローマ街道が伸び、ラス・メドゥラス金山を含むヒスパニア・タラコネンシス属州にまで通じています。

アウグストゥス再編後のヒスパニアの属州。コルドバはヒスパニア・バエティカの州都とされました。
GPL
ヒスパニアに張り巡らされたローマ街道。
Redtony, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons

 コルドバは陸運、水運の拠点としてローマの産業にとって、そしてイベリア半島でローマが勢力を拡大するにあたっての起点として、重要な役割を果たしたと思われます。

メスキータの列柱の森

 ローマ橋のすぐ北側にあるメスキータの中に柱が立ち並ぶ「列柱の森」とも呼ばれる空間があります。元はイスラム教の礼拝空間です。柱の上で天井を支える部分は二重のアーチ構造になっていますが、これは古代ローマの水道橋をヒントに造ったものと言われています。スペインには今でもメリダやセゴビアに立派な水道橋が残っていますし、かつてはコルドバを含めもっと数多く残っていたものと思われます。

メスキータの「列柱の森」。古代ローマの水道橋をヒントにしたと言われる二重アーチ構造です。
メリダのミラグロス水道橋。


哲学者セネカ

 古代ローマ時代の有名な哲学者であるセネカはコルドバの出身で、幼少期をコルドバで過ごしました。もしかしたらこのローマ橋を渡ったことがあったかもしれません。ユダヤ人街の西の入り口であるアルモドバル門の前にはセネカの銅像が建っています。

 セネカは皇帝ネロの家庭教師を努め、ネロ即位当初の善政はセネカによるところが大きいなどとも言われますが、後にネロの母親殺害計画に協力するなどよくわからない人物です。そうまでしたのに最後はネロに陰謀への加担を疑われて自害させられました。

 キケロもそうですが、古代ローマの知識人は筋は通っているのかもしれませんが、現実にものごとを創造し成し遂げる、という能力に欠けるように思えます。所詮「知識人」なんてこんなもので、今も昔も変わらないのでしょう。

行き方

交通

  • マドリードからコルドバ
    • 高速鉄道AVE、ALVIAで1時間50分
    • 車なら高速道路A4で4時間(400km)
  • セビリアからコルドバ
    • 高速鉄道AVEで42分
    • 車なら高速道路A4で1時間40分(14km)
  • グラナダからコルドバ
    • 高速鉄道AVE、AVANTで1時間30〜40分
    • 車なら高速道路A92、A45で2時間10分(200km)
  • コルドバ駅からローマ橋
    • 歩いて25分(2km)
  • 駐車場
    • A432とクストディオス通り(v. de los Custodios)の交差点の近くにある駐車場が便利。ローマ橋までは歩いて12分。

その他の観光名所

  • ローマ橋のすぐ北側にメスキータがあります。イスラム教のモスクとして建設され、レコンキスタ後にキリスト教会に改築されました。イスラム風とキリスト教風が混在した不思議な空間です。 
メスキータの内部。
  • 街を取り囲む城壁が各所に残っています。ローマ橋と同じく何度も改築されているので古代のものはあまり残っていないようです。
街の西にあるTorre de Belén。いつのものか不明です。
  • メスキータの北にはユダヤ人街が広がります。迷路のように張り巡らされた路地には植木鉢の花を飾った白壁が続き、間からメスキータの塔が覗きます。塔はもとはイスラム教モスクだったメスキータのミナレットで、現在はキリスト教会の鐘楼です。ユダヤ人はイスラム王朝のもとで政治経済を支える存在でしたが、レコンキスタ語に追放されました。 
ユダヤ人街。向こうに見えるのはメスキータの塔で、元はイスラム教モスクのミナレット、現在はキリスト教会の鐘楼です。

参考文献

更新履歴

  • 2021/6/13 新規投稿

Posted by roma-fan