テルミニ駅近くに痕跡を留める巨大テルマエ〜ディオクレティアヌス浴場(イタリア)

 ローマの玄関口テルミニ駅から北西に400m程のところにあるサンタ・マリア・デッリ・アンジェリ教会は、ミケランジェロが設計したもので、観光客も多く訪れる観光スポットです。これは古代ローマの浴場(テルマエ)の残骸を再利用したもの、というのもガイドブックなどに書かれています。しかしその浴場がどんなものだったのかは説明されることがほとんどなく、実は辺り一帯に浴場の名残が散らばっていることもあまり知られていません。





サンタ・マリア・デッリ・アンジェリ教会

 まず最初に有名なサンタ・マリア・デッリ・アンジェリ教会の正面に立ってみましょう。(地図①)

散策ルート。

 入口のある正面の壁は丸く窪んでいます。他では見たことがない独特な形です。この形は浴場の壁をそのまま使ったことに因ります。しかし壁と言っても建物の外壁ではなくて、もともとは浴室の内壁でした。今立っている教会正面のこの場所は、カルダリウム(caldarium)と呼ばれる浴室の中なのです。

サンタ・マリア・デッリ・アンジェリ教会の正面。

 この教会は1561年に教皇ピウス4世の名で建設が始まり、ミケランジェロの設計に従って造られました。当時はおそらく周りの壁が崩れて内壁が剥き出しになっていて、それを教会の正面入り口にしたのです。ミケランジェロが浴室の元の姿を知っていたのかどうかはわかりませんが、この窪んだ壁面をそのまま正面入り口にするなんていう発想は常人では思いつきそうもありません。伝えられるミケランジェロの人となりはあまり好きではないのですが、やはり天才であることは認めざるを得ません。

 古代ローマの浴場は巨大で浴室も複数ありましたが、ここにあったカルダリウム(caldarium)は日本語では「高温浴室」と訳されるもので、床下から壁の中のダクトに熱した空気を通して室内を熱したサウナのようなものです。

 ポンペイのフォロ浴場にカルダリウムが当時の形で残っていますが、規模はかなり差があるものの同じ構造で、やはり一方の壁が円形です。この姿を見ると、やはり浴室内の窪んだ内壁を教会の正面入口にするというのは普通の発想ではないと感じます。

 フォロ浴場では円形の壁の上は半円のドームで、床には一本足のテーブルのような円形の水盤が置かれています。ここには冷水が張られていました。厳かな信仰の場にこれから入ろうと心を鎮める教会の入り口前の空間は、かつて汗を流して暑く火照った体を冷ます場所でした。

 さて、物乞いの老女がいる入り口からサンタ・マリア・デッリ・アンジェリ教会に入ってみます。入ったところは丸い部屋で、天井はドームになっています。ドームの中央から色ガラスを通った光が差し込み荘厳な雰囲気です。ここはテピダリウム(tepidarium)、微温浴室でした。ここも床下と壁の中を蒸気が通っていて、カルダリウムより低音のほどよい温かさに保たれていました。今の荘厳な雰囲気とは対象的に、脱力してゆっくりと温まり寛ぐ浴室です。

サンタ・マリア・デッリ・アンジェリ教会を入ったところにあるドーム天井の部屋。

 その奥にはアーチ型のヴォールト天井の巨大な空間があり、正面奥にかまぼこ型の天井の空間が伸び、奥に祭壇があります。祭壇に向かって椅子が並んでいて、真剣に祈りを捧げる人がいます。壁には荘厳な雰囲気の巨大な宗教画がいくつも掛けられています。左右にもドーム天井の空間があり、両方とも宗教画が掛けられています。

 この中央の空間はフリギダリウム(frigidarium)、冷水浴室だったところで、カルダリウムやテピダリウムで温まった体を冷ます冷水のプールがあったところです。

サンタ・マリア・デッリ・アンジェリ教会中央のヴォールト天井の巨大な空間。
壁にはたくさんの宗教画が掛けられています。
入り口から入って右側。
入り口から入って左側。

 ディオクレティアヌス浴場は紀元前140年に造られたマルキア水道から給水していました。ディオクレティアヌス浴場が造られたのは紀元300年頃ですから、440年前という遠い昔に造られた水道です。440年経ってもなお水を供給し続けていたのですから驚きです。日本に置き換えると、本能寺の変が起きた頃に造られたものが今でもまだ機能している、ということですからね(本能寺の変は1582年)。

共和国広場とアウラ・オッタゴナ

 1ユーロ納めてロウソクに火を灯したら、微温浴室だったドームの部屋を通って、高温浴室だった教会の外に出てみます。

 教会を出るとその前は円形の共和国広場です。正面にはナイアディの泉(Fontana delle Naiadi)の噴水が噴き上げ、噴水の向こう側には円形の広場の半周に渡って弧を描く4階建ての建物があります。

サンタ・マリア・デッリ・アンジェリ教会前から見た共和国広場。

 ナイアディの噴水(Fountain of the Naiads)は、ディオクレティアヌス浴場に給水していたマルキア水道を19世紀に教皇ピウス9世が修復、再利用した Acqua Pia Antica Marcia も終端施設として造られたものです。

 全体として見た目はヨーロッパによくある円形の広場という感じですが、この広場全体が古代ローマ時代には浴場の中でした。弧を描いて建っている建物は、浴場の外壁の丸く飛び出したエセドラという部分の基礎の上に建てられたものです。この広場の元の名はエセドラ広場で、今でもそう呼ぶことがあるそうです。

 サンタ・マリア・デッリ・アンジェリ教会と共和国広場だけでもかなりの広さですがこれは一部で、ディオクレティアヌス浴場はその両側から教会の背後にまで広がっていました。

 教会を出て右手、北西方向に進むとチェルナイア通りにぶつかり、通りの向こう側に沿ってれんが造りの古そうな建物が建っています(地図②)。八角形のホール(アウラ・オッタゴナ)という名の建物で、内部は円形の部屋になっており、1928年から1980までプラネタリウムとして使われていました。これも元は浴場だった建物です。北東側に少し離れて背後から見るとドーム型の屋根が載っているのが見えます。チェルナイア通りに面した南側の外壁が丸く窪んでいますが、これも教会の正面入り口と同じく浴場の内壁が剥き出しになったものです。

アウラ・オッタゴナ。
アウラ・オッタゴナの北東側の少し離れたところから見るとドームの屋根が見えます。
アウラ・オッタゴナの南東側の窪み。これも浴室の内壁。

浴場の外壁

 アウラ・オッタゴナを離れ、共和国広場から北に伸びるヴィットリオ・エマヌエーレ・オルランド通り(Via Vittorio Emanuele Orlando)を北西に進んで左手の建物が途切れたところから一本西側のトリノ通りに入るとすぐに、外観が円形のサン・ベルナルド・アッレ・テルメ教会があります(地図③)。これはディオクレティアヌス浴場の丸い形の塔を再利用したもので、ここが浴場の外壁の北西の角に当たります。

サン・ベルナルド・アッレ・テルメ教会。
浴場の外壁の北東角にあった塔を再利用したもの。

 トリノ通りを南下すると、共和国広場の2つの建物を分けていたナツィオナーレ通りと交差します。この北東の角にはローマ三越があり(地図④)、ツアーでもよく訪れるので、この辺りは日本人も多く行き交っています。

ローマ三越。

 三越のある角を左折してナツィオナーレ通りを行くとすぐに共和国広場です。ちょうどサンタ・マリア・デッリ・アンジェリ教会の反対側に当たります。両側にエセドラの基礎の上に建てられた建物が丸く伸び、1階は列柱に支えられた回廊(ポルティコ)になっています(地図⑤)。1600年頃にエセドラは教会に転用され、その後1887~98年に今の建物が建てられました。

エセドラ跡の回廊(ポルティコ)。

 右折して南側のポルティコを進み、ディオクレティアヌス浴場通り(Via delle Terme di Diocleziano)からヴィミナーレ通りに出たら右折すると、すぐにレンガ造りの壁が丸く張り出しているのが見えます(地図⑥)。中央には駐車場の入り口が開き、西側にはリストランテの入り口があります。

浴場の南西の角にあった塔の残骸を利用した壁。
中央は奥にある駐車場への入口。左にはリストランテの入り口があります。

 これは共和国広場になったエセドラを挟んでテルメ教会と対照の位置、外壁の南西の角にあった塔の名残です。つまりテルメ教会からこの円形の塔の跡を結ぶ線が浴場の南西側の外壁の1辺ということになります。その長さは360mほどです。

 ヴィミナーレ通りを戻り共和国広場に出ると、向こう側にサンタ・マリア・デッリ・アンジェリ教会が見えます。その右奥に巨大な建物が見えますが、これはローマ国立博物館です(地図⑦)。この建物も浴場の残骸を再利用したものです。

共和国広場の南西部から見たサンタ・マリア・デッリ・アンジェリ教会の外観。左の木の向こうが入り口です。
サンタ・マリア・デッリ・アンジェリ教会の右奥に国立ローマ博物館があります。
国立ローマ博物館の建物を正面から見たところ。

 国立ローマ博物館の脇を通るエンリコ・デ・ニコーラ通り(Viale Enrico de Nicola)を進むと、博物館の南東の敷地外に浴場の外壁の小さなエセドラの残骸である丸い壁が残っています(地図⑧)。これは浴場の南東の角近くにあった小さなエセドラです。つまり先程見た駐車場入口の開いた塔からこの辺りまでが南東側の1辺に当たり、320mほどです。

浴場の南東の角近くにあったエセドラの残骸。

 ディオクレティアヌス浴場は、共和国広場からサンタ・マリア・デッリ・アンジェリ教会、その背後の国立ローマ博物館を含む一体に広がる巨大な浴場だったのです。

 ローマにある古代ローマの浴場といえばカラカラ浴場が有名です。カラカラ浴場はここと違って形をよく留めていますが、その外壁に囲まれた大きさは337m×328mというので、ディオクレティアヌス浴場の360m×320mとほぼ同じ規模です。しかし外壁に囲まれた敷地内に建つ浴室の建物の大きさは、カラカラ浴場が214m×110mなのに対してディオクレティアヌス浴場は280m×160mで、こちらの方が大きいものでした。 

ディオクレティアヌス浴場と現代の建物。
ディオクレティアヌス浴場と現代の建物。Googleマップを重ね合わせ。

皇帝ディオクレティアヌス

 ディオクレティアヌス浴場は紀元298年に、ディオクレティアヌスの共同皇帝でイタリア半島を含む西方を担当する正帝マクシミアヌスの命によって、ヴィミナーレの丘の上であるこの場所に建設が始まりました。この年の秋にマクシミアヌスはアフリカ遠征から帰ったところです。

 ディオクレティアヌスはローマ帝国を最初は2つ、後には4つに分けてそれぞれに担当の皇帝を置くテトラルキアを始めた皇帝です。自らは東方を治める正帝で、ニコメディアに拠点を置きました。ニコメディアは現在のトルコの首都イスタンブール、ここはディオクレティアヌスより後の時代にコンスタンティノープルが建設されるところですが、そこから東100kmのところにあるイズミットという都市の旧名です。マクシミアヌス浴場ではなく、東方担当でローマにいない皇帝の名が付けられたのは不思議な気がします。しかしテトラルキアではあくまでディオクレティアヌスがローマ帝国の最高権力者で他の3人より上位に位置付けられていましたし、軍人皇帝時代と呼ばれる不安定な状況からローマを再び安定に導いた有能な皇帝ですから、その名が顕彰されるのも当然のことでしょう。

 ディオクレティアヌスは305年に引退したので、この浴場は298年から305年の間のどこかで完成したことになります。ディオクレティアヌスは引退後、現代のクロアチアのスプリトに宮殿を造って隠棲しました。

 ディオクレティアヌスはキリスト教を迫害した皇帝としてキリスト教徒から大悪党のように言われますが、キリスト教を迫害した皇帝の名がついた浴場の跡がキリスト教の教会になっているというのも皮肉に感じます。

※Wikipedia日本語版にはディオクレティアヌスが306年にディオクレティアヌス浴場を建設したとありますが、ディオクレティアヌスは305年に引退しており、出典も示されていないので、間違いと判断しました。この記事ではWikipedia英語版の記載を元にしています。

行き方

 共和国広場はテルミニ駅から400mほどなので十分歩いていける距離です。

 共和国広場の真下に地下鉄A線の Repubblica 駅もあります。

 テルメ教会やその他の遺構はわかりにくいのでここに載せた地図を参考にしてください。

 共和国広場の南にある三角形の公園にドガリのオベリスクが建っています。

ドガリのオベリスク

 これはラムセス2世がヘリオポリスの太陽神殿に建てたもので、ローマに運ばれてパンテオン近くのイシス神殿、今サンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ教会になっている場所に建っていました。

参考資料

更新履歴

  • 2020/2/21 新規投稿

Posted by roma-fan