メゾン・カレ〜南仏ニームの白く美しい神殿(フランス)

 南仏プロヴァンスの都市ニームにあるメゾン・カレは古代の姿をとても良く残した神殿です。これほど完全な形で残っている古代ローマ神殿は他にはありません。



白い神殿

 まず見て驚くのは最近建ったかと思うようなその白さです。そして形もふつう遺跡といって思い浮かべるものとはかけ離れた完全なものです。

 もっとも古代からそのままの姿でずっと残っていたわけではありません。4世紀以降、住居、厩舎、教会などとして使われ、改造されたり建物が付け足されたりしました。11世紀から16世紀に領事の館に使われたときには、内部がいくつかの部屋に区切られ、丸天井がかけられて煙突が付けられたり、窓が開けられたりといった改造がなされました。

 19世紀に博物館となり、周囲の建物が取り払われて姿が復元されました。今の屋根は1992年に古代の姿を復元して架替えたものです。

 あるがままの姿で残すのと、造られた当時の姿に近づけるのと、どちらがいいかは意見が分かれるところです。しかし当時の姿にすることによって、その建物の持つ本来の意味や人々に与えるインパクトを実感することができます。正確な姿がよくわからないのに多くの想像を加えて復元してしまうことには反対ですが、メゾン・カレは手を加えられたとはいえ多くの部分が残っていて、おそらくわかっていることも多いと思われますから、そういう場合は復元することに賛成です。ただその境界線は曖昧で難しいところです。

 2006年から2007年にかけての修復で今見るような白い壁面になりました。それ以前の写真を見ると黒ずんでいて、他の古代ローマ時代の遺跡と同じように2000年の時の流れを感じる姿です。

 白くするのも復元の一環ですが、実はこれには問題があります。パルテノン神殿がもともとは極彩色に塗られていたことは徐々に知られるようになってきましたが、彩色されていたのは古代ローマの建物も同様です。色がないのは長い間に塗料が剥げてしまったからです。実はパルテノン神殿では白い方が一般受けするため、磨いて色を落とすという暴挙まで犯したことが知られています。メゾン・カレを白くしたのは純粋な復元を意図したと思われるので暴挙とは言えないと思いますし、そもそも色が細部まで判らなければ復元のしようがないので致し方ないところではあります。

 しかし少なくともこの白い見た目が古代ローマ時代の姿でないことは確かです。復元するのであれば本当は色も含めて当時の通りにしてほしいところです。そうでないとこれを見た古代の人々が感じ取る意味やインパクトは到底理解できないばかりか、誤解してしまう可能性すらあります。

ガイウスとルキウスへの奉献

 中世に取り去られたと考えられる碑文の痕跡が壁面に残っています。碑文は青銅製の文字を壁から付き出した棒で固定したものでした。この棒が固定されていた穴の配列から、1758年に地元の学者が碑文を再現しました。その碑文には、西暦2年〜3年にこの神殿をガイウス・カエサルとルキウス・カエサルに捧げる、と書かれていました。

 年代がわかる確実なものはこれだけですが、建物自体はこれ以前に存在し、この年にこの二人に奉献されたものと考えられています。

 ガイウス・カエサルとルキウス・カエサルは、アウグストゥスの盟友アグリッパと大ユリア(アウグストゥスの娘)の子です。アウグストゥスが後継者として期待をかけて養子にしていましたが、共に二十歳前後で夭折し、遺骨はローマのアウグストゥス廟に埋葬されています。アウグストゥスの後継者として期待された二人の死は、首都ローマから遠く離れたニームの地で神殿が彼らに奉献されるほどのインパクトのある出来事だったのでしょうか。裏を返せばアウグストゥスが古代ローマの人々にとって大変大きな存在感を持ち、その威光が行き渡っていた証拠ということかもしれません。



四角い家

 メゾン・カレはフォロ(フォーラム)の中に建つ神殿でした。フォロは都市の中心となる広場で、神殿の他に多目的に使われるバシリカや議場もある空間です。

 この「メゾン・カレ(Maison Carrée)」という名は、フランス語で「四角い家」(英語にすると”square house”)というなんとも味気ない名前で、もちろん古代ローマ時代にそう呼ばれていたわけではありません。

 神殿の内部には当時を偲ぶようなものは何もありません。何を祀る神殿だったのかも判りません。実際に判っていないのか、単に私が説明を見つけられなかっただけなのかは不明ですが。

 創建された年代は正確にわかっていないようで、資料によって記載が異なっていますが、紀元前16年から紀元4年の間くらいのようです。ニームはイタリアとスペインをつなぐドミティア街道が通る交通の要衝で、紀元前28年以前にはすでにローマの植民地となっていました。ニームには他にも円形闘技場が残っている他、水道橋の代表として有名なポン・デュ・ガールはニームに水を届けるための水道の一部です。



 メゾン・カレは高い基壇の上に載っています。この基壇の高さは2.85mもあって、正面に15段の石段がつけられています。

 石段を登ったところは柱に支えられて屋根が庇のように長く突き出したポルチコ(ポーチ)です。奥行方向に全部で11列ある柱のうち、手前の4列目までが屋根だけのポルチコで、この部分がだいぶ長く感じられます。屋根の下面には美しい装飾があり、石段を登っていくとこれが目に入ります。壁のあるところでは、柱が半分壁に埋め込まれたようになっています。

入口手前の屋根の下面に美しい装飾があります。

 このように高い基壇の上に建ち、手前に屋根が庇のように突き出た形状は、古代ローマの神殿にはよくあるものです。

 ローマににあるものでは、フォロ・ボアリオにあるポルトゥヌス神殿がこれよりやや小ぶりですがよく似ています。これはメゾン・カレより前、紀元前75年に建設されたもので、正面に石段がありポルチコがあるのがはっきりと分かります。

フォロ・ボアリオのポルトゥヌス神殿


 アウグストゥスが建てたパラティーノの丘のアポロン神殿(アウグストゥス の家の横にある)や、アウグストゥスのフォロの復讐神マルス神殿(マルス・ウルトル神殿)も同様に高い基壇の上に建ち入り口側にポルチコがありました。アポロン神殿は基壇の残骸しか残っていませんが、復讐神マルス神殿(マルス・ウルトル神殿)の方は17段の石段が残り、少し奥まったところに神殿の壁の一部が残っていることから手前がポルチコになっていたことがわかります。

ローマのアウグストゥスのフォロにある復讐神マルス神殿(マルス・ウルトル神殿)。

 地中海を通ってローマに船で運ばれてきた物資を水揚げする港湾都市だったオスティアのフォロにも、同じように高い基壇の上に建つカピトリウムという神殿があります。これには21段の石段が見事に残っています。

港湾都市オスティアのフォロにあるカピトリウム神殿


 そういえばパンテオンも手前に柱に支えられた屋根が突き出しています。パンテオンは後ろの神殿本体が円形なので印象は違いますが、同じような構造と言っていいかもしれません。パンテオンは紀元前25年建造なので、メゾン・カレのモデルの一つだった可能性はあります。ただ現在のパンテオンは100年後にハドリアヌスが再建したものなので最初の姿は分かりませんが、正面の破風にアグリッパと書いてあるので、少なくとも手前の屋根だけの部分は今と同じ形だったのではないでしょうか。

ローマのパンテオン。正面に「アグリッパ」と書かれています。


行き方

 ニームはパリ・リヨン駅からTGVで3時間です。

 メゾン・カレは市街地の中心部にあり、遺跡の中で一番場所がわかり易い円形闘技場から北西に400mです。

 駐車場が円形闘技場の南東側に接する公園の下にあります。鉄道駅も円形闘技場から南東に500mと徒歩圏内です。

 円形闘技場と、メゾン・カレから更に北西700mの斜面にあるマーニュ塔、北に450mのニーム大学の西側の壁の外にあるカステルム・アクアエと共に歩いて巡ることが可能です。



参考文献

更新履歴

  • 2021/4/9新規投稿

Posted by roma-fan