アルカンタラ橋~生きているローマ橋(スペイン)
古代ローマの橋の多くは徒歩でしか渡ることができません。貴重な遺跡なんだから当然ですよね。歩いて渡るのも多くは観光客で、生活のための橋ではなくて観光施設です。
でもここアルカンタラ橋は道路の一部として生きています。しかも車で渡ることもできます。
生きている橋
この橋は、ここイベリア半島出身の皇帝トラヤヌスの命により106年に完成しました。1900年前に造られた橋が今だに生きて使われていると思うと、なんだかワクワクしてきます。自動車が渡るのを見たときには、興奮で体が震えました。
古代ローマの時代にここを通っていたのは、属州ルシタミアの州都アメリタ・アウグスタ(現在のメリダ)と、同じ属州ルシタニアに属す大西洋岸に近いコニンブリガを結ぶローマ街道です。コニンブリガはコインブラの近くに遺跡として残っているだけですが、当時は大都市でした。今ではこの道は主要ルートではなくて交通量も少なく、丘陵地帯を行くのどかな田舎道という感じです。
一番高い橋
アルカンタラ橋は残っている古代ローマ橋の中で一番高い橋です。高いところが苦手な私は、橋の中央から下を覗けませんでした。なにしろ橋の上は川から45m。ビルの15階の高さです。
写真というのは深さや高さを表すのが苦手ですが、ここを写した写真もまさにそう。写真から受けるこじんまりした感じと、現地で感じる高低差の実感とは、相当乖離があります。ほんと怖いです。
中央に凱旋門のようなアーチがあります。写真で見るとさほどの高さには見えませんが、実際にはその路面からの高さは14m、5階建てほど。それを踏まえて改めて橋全体を見てみると、橋がいかに高いかがわかります。
渡る
橋の路面は石畳です。幅が6mもあるので、車が楽にすれ違えます。幅が広くて下は見えないので、そんなに高いところを渡っているという感覚はありません。
橋の中央アーチの上部に文字の刻まれた銘板がはめ込まれていますが、ここに書かれているのは橋のスポンサーであったトラヤヌス帝の名です。
過去に3度、戦略上の理由により橋の一部が破壊されたそうです。13世紀のレコンキスタ中、17世紀のポルトガル王政復古戦争、19世紀のスペイン独立戦争のときのことですが、いずれも後に修復されました。アーチの左右にある白っぽい銘板には、1543年にアーチを再建したスペイン国王カルロス1世(神聖ローマ皇帝カール5世)と、1860年に橋を再建したイザベル2世の名が刻まれています。
東側の橋のたもとにはこじんまりとした神殿が建っています。橋と同時に造られたもので、橋を作った建築家 Gaius Julius Lacer が葬られているそうです。
西岸に橋を見下ろすように建つのはトッレ・デル・オロ Torre del Oro、黄金の党。18世紀に建てられた見張り塔です。
タホ川
アルカンタラ橋が跨いでいるのはタホ川です。アルカンタラ橋を訪れた6日後にはるか東、マドリードにほど近い古都トレドを訪れたのですが、この街を取り囲む川が同じ川だということに気付いたのは、旅が終わって1年以上経って旅行記を書いていたときでした。
タホ川はマドリードの近くに発し、トレドを経て西進してアルカンタラに至ります。その先でしばらくスペイン、ポルトガル国境となり、ポルトガルではテージョ川と名を変え、リスボンで大西洋に注ぎます。イベリア半島最長の川です。
訪問ガイド
ここを探すには「アルカンタラ」という街の名で検索しましょう。「アルカンタラ橋」を検索するとトレドにあるその名の橋が出てきます。トレドはここから東に300km。間違えたらアウトです。ちなみにトレドのアルカンタラ橋も古代ローマ時代に造られた橋です。
車だと高速道路が通るカサレスから1時間ほど。アルカンタラの街を通り過ぎて坂を下るとアルカンタラ橋があります。街から歩いて下る道もつけられています。
アルカンタラ橋は観光地という雰囲気は全くありません。知らずに通ったらこんな貴重な遺跡だとは全く気づかないでしょう。
アルカンタラ橋を越えて進むと18km、20分ほどで、スペイン・ポルトガル国境の Erges川に架かる 橋に着きます。途中は畑だか牧草地だかわからない乾燥した殺風景な丘陵地帯で、国境地帯で行き来も少ないのか車も少なく、人気が全くありません。
橋のちょうど真ん中にスペインとポルトガルの境目を表わす看板が取り付けられています。こういうのがあるとここをまたいで写真を取ってしまいますね。以前テレビ東京の「地球街道」という番組で近藤正臣さんがここを訪れ、「どうしてもこうしたくなっちゃうよね」と言いながら同じことをしていました。人間の性ですかね。
実はこの橋も古代ローマの橋で、アルカンタラ橋と同じく2世紀に造られたものだったのです。でも説明の看板も何もなく、ここを通った時には古代ローマの橋だと気付きませんでした。
橋の上からはポルトガルの村セグラが見えます。
車ならすぐそこ。石畳の狭い道をそろそろと登っていったのですが車を停めるところがないので、村の外の道路沿いに車を停めて歩いてみました。お茶でもしようかと思いましたが、それらしい店は見当たりません。それどころか人の気配がまるでしません。
村の一番高いところに登ると先ほどのローマ橋が見えました。辺りには荒涼とした風景が広がります。国境のどん詰まりの村ですが、ポルトガル方面から最新式の大型バスが通ってきていたのが意外でした。
ちなみに近藤正臣さんはこの村も訪れていました。
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