オランジュ凱旋門ーローマ軍団のエンブレムが描かれた浮き彫りが残る凱旋門(フランス)

 かつてのガリア、現在の南仏プロヴァンスのオランジュにある凱旋門で、ローマと蛮族との戦闘場面や武器、船のパーツの浮き彫りが残っています。その戦闘場面の中には、オランジュ創設時に入植した第2軍団アウグスタのエンブレムであるカプリコーン(山羊座)の文様の盾が描かれています。


第2軍団アウグスタのエンブレム

 オランジュは古代ローマ時代の姿をよく留めているローマ劇場で有名ですが、劇場のある街の中心から北に向かう道路上に凱旋門があります。

 この凱旋門には見事な浮き彫りが残っています。中世には城壁に組み込まれていたといいますが、よくこここまで残ったものです。

 中でも特徴的なのが、北面の中央上部にある戦闘場面の浮き彫りに描かれているローマ軍団のエンブレムです。オランジュは紀元前35年に第2軍団アウグスタ(Legio II Augusta)の退役兵が入植して造られた街ですが、その第2軍団アウグスタのエンブレムであるカプリコーン(山羊座)の紋様の盾が描かれているのです。対戦相手は裸で長髪なので、ガリア人かゲルマン人でしょう。

北面の左側の盾に第2軍団アウグスタのエンブレムであるカプリコーン(山羊座)が描かれています。 © 2021 Roma Fan
第2軍団アウグスタのエンブレムであるカプリコーン(山羊座)。
Plate of Legio II Augusta – Chatsam(2009), CC BY-SA 3.0

 この戦闘場面の浮き彫りはオランジュ創設に携わった第2軍団アウグスタを顕彰する意味で描かれた、と考えるのが自然です。しかし描かれている戦いが何なのかは謎です。それは凱旋門がいつ誰のために建てられたかがわからないことも影響しています。

 第2軍団アウグスタは、カエサルかカエサル派の将軍が創設したと考えられていますが、その頃どこで戦ったのかはわかっていません。紀元前45年のカエサル暗殺後はアウグストゥスが引き継ぎ、フィリッピの戦いなど同じローマ人との戦闘に参加しました。オランジュ創設の紀元前35年はまだアントニウスも健在で、それまでにオランジュ入植者である第2軍団アウグスタの退役兵が戦ったことが確実な相手はローマ人だけです。

 したがって描かれたのが、入植者が実際に体験した戦闘なのであれば、カエサル時代にガリア人かゲルマン人との戦闘に参加していて、その場面をここに描いた、ということしか考えられません。もしかしたらガリア、それもオランジュに近いところで戦ったことがあるのかもしれない、とも想像します。

 アウグストゥスが皇帝になった後の紀元前27年以降、第2軍団アウグスタはヒスパニア(スペイン)駐在でしたが、紀元9年にゲルマニアに転向となりました。アウグストゥス死後の紀元14年から15年のことですが、ゲルマニクスに率いられてゲルマン人に勝利しています。この間のヒスパニアやゲルマニアでの戦いの場面を描いたというのも考えられないことはありません。しかし30年から50年も後の出来事です。オランジュに入植した退役兵と無関係とはいわないまでも、関係は薄いと言わざるを得ません。凱旋門はそれを見る人にインパクトを与えなければ建てる意味がありませんから、オランジュの人々と関係の薄い場面を描くのは考えにくいと思います。

誰に捧げられた凱旋門なのか?

 この凱旋門は残念ながら碑文が残っておらず、建造年も誰に捧げられたのかも不明です。

 柱のすぐ上の帯にかつて碑文の文字が固定されていたほぞ穴が残っていて、ほぞ穴の研究によりいくつかの説が出されてはいます。しかし現在の通説では、碑文は紀元26か27年にティベリウスに捧げられたという内容で、これは建設されたときではなく後に改めて献上されたときのものと考えられています。紀元前26年以前のどこかで誰かに捧げられた、という以上のことはわかりません。

 よくこの凱旋門は当初ゲルマニクスに捧げられたと説明されています。しかしゲルマニクスに捧げられことを明確に示す証拠は、私が調べた限りでは見つかりませんでした。最初にこの碑文を解読した学者が「ゲルマニアを破った」と書かれていると主張したようで、これとゲルマニクスが第2軍団アウグスタを率いてゲルマン人に勝利したことから連想して、そのように解釈されたのではないかと想像します。碑文のこの解釈は今では退けられていますし、先にも述べたとおり戦闘場面がこのときのものとするのは無理があります。

 ゲルマニクスに捧げられたのではないと考える理由はもう一つあります。それは海に関連する浮き彫りです。小アーチの上に軍船のパーツ、側面上方に海神トリトンが描かれているのです。ゲルマニクスや第2軍団アウグスタと海との結びつきは極めて希薄です。

 では誰に捧げられたのかといえば、私はアウグストゥスだと思います。

 そうだとすれば海に関連する浮き彫りは、アントニウスを破って単独支配体制を固めることになったアクティウムの海戦を表すものということになるでしょう。ここにはロストラ(衝角)という船首の海中につけられた突起が複数描かれています。アクティウムの海戦の勝利後、アウグストゥスは戦場となった海域を見下ろすニコポリスの丘の斜面に戦勝を記念する建造物を建てましたが、そこにはロストラが35個も並べて取り付けられていました。ロストラを見て人々が連想するのはアウグストゥスだろうと思います。

 戦闘場面は入植者である第2軍団アウグスタの退役兵が参加したガリアでの戦いの場面です。この戦い自体はカエサルによるものですが、アウグストゥスは言うまでもなくカエサルを継ぐものですし、最終的にガリアに平和をもたらしたのはアウグストゥスです。

 オランジュの街を創設した第2軍団アウグスタの退役兵が実際に参加した戦いを描くことで、入植者とその子孫の虚栄心をくすぐりながら、アウグストゥスの威光を実感させる。そのためにこの凱旋門は建てられたのではないでしょうか。

構造

 この凱旋門は中央に大きなアーチ、両脇に小さなアーチがある3連アーチの凱旋門です。これはローマにある古代の凱旋門の代表格であるフォロ・ロマーノのセプティミウス・セウェルスの凱旋門や、コロッセオの脇のコンスタンティヌスの凱旋門と同じなので見慣れた姿です。しかし古い凱旋門のアーチは一つで、オランジュの凱旋門は3連アーチの凱旋門としては今に残る最も古いものです。

アオスタのアウグストゥスの凱旋門。アーチは一つです。紀元前に造られたと考えられています。© 2021 Roma Fan
フォロ・ロマーノ。左手前左手がセプティミウス・セウェルスの凱旋門でアーチは3つ。中央奥に見えるのはティトゥスの凱旋門で、オランジュのものより時代は下りますが、アーチは1つです。© 2021 Roma Fan
コンスタンティヌスの凱旋門。アーチは3つ。© 2021 Roma Fan

 この凱旋門で独特なのは三角屋根の浮き彫りです。全体として三角屋根の神殿の上に更に何かが載っているような不思議な見た目です。三角屋根は西側が一番よく残っていて、ローマのパンテオンの前廊やポルトゥヌス神殿と同じような見た目です。セプティミウス・セウェルスの凱旋門、コンスタンティヌスの凱旋門を含め他の凱旋門にはこのような屋根の装飾はなく、柱の上のアーキトレーブの上に碑文が刻まれた層があるだけです。

西側の側面。三角屋根の神殿の上に何かが載ったような不思議な姿です。

ローマのフォロ・ボアリオにあるポルトゥヌス神殿。似てます。© 2021 Roma Fan
ローマのパンテオン。© 2021 Roma Fan




浮き彫り

 浮き彫りは最上部に戦闘場面、その下の層には海に関連したものが描かれています。下段は正面の小アーチの真上は武器、側面にはトロフィーと鎖に繋がれた捕虜が描かれています。柱の上の帯状のエンタブラチュアには中段に戦う兵士の姿が一部残り、下段には碑文の跡があります。両面とも同じテーマが描かれています。

 おそらく武器は陸戦の戦利品、軍船のパーツは海戦の戦利品です。凱旋行列を飾ったトロフィーと捕虜とともに、凱旋式で目にするものを描いたのでしょう。凱旋行列や戦利品を目にすることがない属州の住民に、凱旋式を感じてもらうための浮き彫りなのだと思います。

© 2021 Roma Fan

戦闘場面

 最上部の中央は戦闘場面を描いた浮き彫りです。

 ローマ兵は兜を被り帷子を着け、馬に乗る姿が多く見られます。これに対して対戦相手の人々はほとんど裸のようで長髪の人もおり、盾を持って戦っています。ガリア人かゲルマン人を描いたものでしょう。

 前に述べたように、北面の浮き彫りの左の方にいるローマ兵が持つ盾に、第2軍団アウグスタのエンブレムであるカプリコーン(山羊座)の紋様が描かれています。

上部のローマ兵と蛮族の戦闘場面。© 2021 Roma Fan

 浮き彫りの周囲には多数の穴が開いています。ブロンズの装飾が固定されていた跡と考えられていますが、残念ながら装飾は全く残っていません。両脇や側面の最上部にも浮き彫りがあったと思われますが失われています。

 柱の上、エンタブラチュア中段のフリーズと呼ばれる帯状の装飾部分にも、戦うローマ兵と蛮族の姿が描かれています。残っているのは南面の東側と東の側面のみですが、全周に渡って描かれていたと思われます。

エンタブラチュア中央のフリーズに描かれた戦うローマ兵と蛮族の兵士。© 2021 Roma Fan

海の戦利品

 三角屋根の浮き彫りのある層に海に関連する浮き彫りがあります。

 南面と北面の小アーチの上方にある4箇所には軍船のパーツが描かれています。

軍船のパーツの浮き彫り。© 2021 Roma Fan

 写真は北東面のもので、中央にあるのは船首部分です。上部の渦巻のようなものは船首の装飾、右にある5本のS字に弧を描いた枝のようなものは船尾の装飾アプラスターです。中央には海神ネプチューンの象徴である三叉の鉾が描かれています。

 左には帆柱と滑車とロープ、これに重なって碇が描かれています。

 右下に3個描かれている3枚の板が重なったようなものはラテン語で「ロストラ」、日本語では衝角と言います。船首の海中に取り付けられていたもので、敵船の側面に体当りして穴を開け浸水させるためのものです。

 紀元前4世紀にローマ人はロストラを戦利品としてローマに持ち帰って演壇に飾り、以来演壇のことがロストラと呼ばれるようになりました。アウグストゥスも政敵アントニウスと戦ったアクティウムの海戦後にロストラを演壇に飾っています。つまりロストラが象徴するように、ここに描かれたのは単なる船のパーツではなく、戦利品なのです。

船首部分。下の金色のものがロストラ(衝角)。
Trireme Olympias of the Hellenic Navy – Χρήστης:Templar52(2006)

 東面には上半身が人間、下半身が魚という姿が描かれています。海神トリトンと思われます。西面はほんの一部しか残っておらず何が描かれているのかわかりませんが、全体に左右対称なのでこちら側もトリトンだったと思われます。

側面上部の半人半漁のトリトンと思われる浮き彫り。© 2021 Roma Fan

武器

 小さなアーチのすぐ上の浮き彫りは武器だといいます。これも戦利品を描いたものと思われます。

 ただ目玉のような模様が描かれた盾はわかるのですが、その他は何が描かれているのかよくわかりません。動物らしきものや、戦闘場面に描かれていた対戦相手が肩からかけていた布のようなものも見えます。

武器を描いたという浮き彫り。右の方に目玉のような模様の盾があります。© 2021 Roma Fan
動物のようなものも見えます。© 2021 Roma Fan

トロフィー

 側面下部のには「トロフィー」が描かれています。

 トロフィーと言っても現代とは全く違うもので、戦利品を飾り付けたモニュメントのことを言います。ローマのカンピドリオ広場の手すりに置かれているマリウスのトロフィーが有名です。正面階段コルドナータを登っていくときカストルとポルックス像の両脇に見えるのがそれで、この凱旋門の浮き彫りとそっくりです。

 トロフィーの下に見えるのは鎖に繋がれた二人の捕虜の姿です。

 凱旋式では凱旋将軍が戦利品や捕虜を従えて行進したので、それを象徴的に表したものでしょう。

側面の浮き彫りはトロフィーと鎖に繋がれた捕虜。© 2021 Roma Fan
ローマのカンピドリオ広場の手すりに置かれているマリウスのトロフィー。© 2021 Roma Fan


古代都市アラウシオ

 オランジュ、古代のアラウシオには古くからガリア人の街がありました。

 紀元前105年にはこの近郊でローマ軍がガリア人のキンブリ族、テウトネス族に大敗しています。ローマでは市民が兵となっていましたが、このアウラシオの戦いでの敗北をきっかけにマリウスが権力を握り、職業軍人に変えました。ローマが共和制から帝政に移っていくきっかけとなった戦いといえます。オランジュ創設時に入植した退役兵が属していた第2軍団アウグスタも、もちろん職業軍人です。

 凱旋門はアグリッパ街道の上に建っています。アグリッパ街道はガリアを走るローマ街道で、リヨン(古代のルグドゥヌム)を中心に四方に伸びていました。オランジュはリヨンと南方のアルル(古代のアレラーテ)とを結ぶアグリッパ街道上です。アルルはイタリアとスペインを結ぶドミティア街道沿いにある都市で、オランジュはこれとガリアを結びつける街道上にある交通の要衝でした。オランジュの街から見てガリアの深部に向かう北方に凱旋門は建っています。

 中世に凱旋門は市壁に組み込まれて北の守りとなっていました。独立した凱旋門として復元されたのは19世紀のことです。

行き方

 凱旋門はオランジュの街の北寄りにあります。ローマ劇場から北に750mほどです。

 隣接して見学者用の駐車場があるので車で行くのは容易です。ローマ劇場周辺にも駐車場があるので、どちらかに停めて両方を徒歩で回ってもいいでしょう。

 オランジュ駅は1kmほど東です。TGV専用線は郊外を通っていてオランジュに駅はなく、在来線のみです。パリなどからTGVを使って訪れるなら20km南のアヴィニョンまで行って在来線に乗り継ぎます。

参考文献

  • Navires antiques
  • Wikipedia(日本語版、英語版、フランス語版)
  • ハイビジョン特集 ローマ皇帝の歩いた道 前編・海を制したアウグストゥス(NHK)

更新履歴

  • 2021/5/14 新規投稿
  • 2021/6/7 アクティウムの海戦の記念建造物について追記

Posted by roma-fan