アッピア街道の第1マイルストーン(イタリア)
古代ローマの国中に張り巡らされていたローマ街道には、1マイルごとに起点からの距離が書かれた標識が置かれていました。それがマイルストーンです。
首都ローマから長靴のかかと、地中海の東側に出るための重要な港であるブリンディシまでを結ぶアッピア街道。紀元前312年から建設が始まった最初のローマ街道で「街道の女王」の異名をもつこのアッピア街道の、最初のマイルストーンがこれです。
どこから1マイル?
マイルストーンの一番上にはローマ数字の「I」が刻まれているので、確かにこれがアッピア街道の1マイルのマイルストーンであることがわかります。
フォロ・ロマーノに黄金の里程標というものの基礎部分が残っていて、かつてこの上にあった円柱には各地への距離が刻まれていたといいます。Wikipediaにはこれが街道の起点と書いてあるのですが(2017年現在)、第1マイルストーンまでの距離をGoogle Mapで測ってみると2.8km。古代ローマの1マイルは1000歩が基準で約1.48kmですから、明らかに1マイルではありません。
本当の街道の起点は、ローマの街を囲む城壁の門、つまり市街から外に出るところでした。今このマイルストーンはアウレリアヌス城壁のサン・セバスティアーノ門のすぐ外側にありますが、ここからは100mくらいしか離れていませんからもちろんこの門ではありません。ちなみにこの城壁や門は3世紀に造られたものです。アッピア街道が造られた頃にはこれより内側にセルウィウス城壁というのがあり、そこに開かれたカペーナ門がアッピア街道の起点でした。セルウィウス城壁はテルミニ駅前などごく一部だけ残っていますがほとんど失われていて、カペーナ門は影も形もありません。カペーナ門の場所はチルコマッシモの南、カラカラ浴場近くにあるカペーナ広場の辺りだったといいます。確かにその辺りなら1マイルくらいです。
実は・・・
フォロ・ロマーノの北にカピトリーノの丘(カンピドリオとも)というのがあります。いきなり何の話?と思うでしょうが、少々我慢を。
古代ローマの頃には最高神ユピテルを祀る神殿が建っていた場所ですが、今見られるのはミケランジェロが整備した姿で、中央の広場の幾何学模様が印象的です。この広場の正面口は北側の石段で、これを登ると馬を連れたカストルとポルックスの双子の巨大な像が狛犬のように両脇を固めているのが嫌でも目に入ります。
これが目につきすぎて他のものに気付かないのですが、よく見るとその左右にもいくつかのものが並んで建っています。その一番右にある円柱形のもの、これはまさしくあのアッピア街道にあったマイルストーンと同じ形。
実は同じ形どころか、ミケランジェロがアッピア街道の1マイルのマイルストーンを、自分が造る広場の飾りとして持ってきてしまったのです。ルネサンス時代の人は建物の表面を飾っていた大理石は軒並み剥がして使うは、オベリスクは好きなように移動するは、やりたい放題ですからね。
つまりアッピア街道沿いのあのマイルストーンはレプリカなのです。レプリカをいつ誰が作ったのかは、調べてみましたがわかりませんでした。
最初の1マイルを歩く
せっかくなので起点のカペーナ門のあったところから歩いてみましょうか。歩く距離はもちろん1マイル、1.48km。
カペーナ広場から続くアッピア街道は、両側が壁に囲まれている石畳の道です。車は今進んでいる方向に一方通行で交通量は少なく、車が時々通る程度です。人気もなくて都会とは思えない雰囲気です。早朝、夕方の女性の独り歩きは避けたほうがいいかもしれません。
やがてレンガ造りのアーチの残骸があり、その向こうに大きな門が見えます。
アーチはその上をマルキア水道から分岐してカラカラ浴場に給水するアントニアーナ水道が通っていました。しかしこれは既にあったアーチのうえに通したもので、元々このアーチが何であったかは不明です。「ドルーススのアーチ」と呼ばれていますが、実際は2代皇帝ティベリウスの弟ドルーススとは関係ないようです。トラヤヌスの凱旋門という説もあるそうです。
その先の大きな門はサン・セバスティアーノ門。3世紀後半に造られたアウレリアヌス城壁に作られた門で、中は博物館になっています。私が訪れた時は時間が遅く閉館後でした。いつか訪れたいと思っています。写真で見ると想像できないかもしれませんが、この門を車が通ります。外側から見ていると、信号が青になるたびに小さな開口部から車が吐き出されてくるのがユーモラスな感じ。
門を出て左手の角に水飲み場があります。これは昔からあるものなのでしょうか。石棺みたいにも見えますが、まさかそれを水飲み場に転用なんてしませんよね。ローマを歩いているとこういう遺跡だがなんだかわからないものがゴロゴロ転がっているのが楽しいですね。
そして正面に続く道を100mほど進んだ右手に、目的のマイルストーンがあります。
最初の1マイルの旅、お疲れ様でした。
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マイルストーン達
アッピア街道はこの先、終点のブリンディシまで520km、約350マイルなので、マイルストーンが350個くらい建っていたわけです。
ローマ中にマイルストーンはいったい全部で何個あったのでしょうか。Wikipediaによると主要幹線道路が約8万6千kmなので、そこに5万8千個のマイルストーンがあったことになります。数が多いだけに残されているものも多いようですが、アッピア街道の第1マイルストーンからしてこれですから、他のものがガイドブックなどに載っているわけもなく、ありかがわかりません。
以前テレビで、ある農家が近くにあったマイルストーンをたくさん集めてきて牛小屋の柱にしているのを見たことがあります。それほどたくさん、無造作に放置されているのです。ネットの情報をなどを頼りにいろいろ訪れてみたいと思っています。
訪問ガイド
第1マイルストーンを訪れるにはサン・セバスティアーノ門を目指します。
直接行く場合、地下鉄や鉄道駅は近くにないので、バスで訪れることになります。中心地からならコロッセオからバスが通じています。バス停は Porta S. Sebastiano。
徒歩で行く場合、上に書いたアッピア街道以外に、地下鉄B線のピラミデ駅(Piramide)、またはイタリア鉄道(旧国鉄)のローマ・オスティエンセ(Roma Ostiense)から、アウレリアヌス城壁に沿って歩くルートもあります。ちなみに起点の2つの駅と、オスティア・アンティカ遺跡に行くローマ=リード鉄道線のポルタ・サン・パオロ駅(Porta S. Paolo)は、名前が違いますが同じ場所にあります。実は私はオスティア遺跡からの帰りにこのコースで訪れました。
第1マイルストーンは、サン・セバステアーノ門の正面に伸びる道を100mほど進んだ右手にあります。このマイルストーン、観光地としては全くメジャーではなく、看板などもありませんし、壁のくぼみに半分埋もれているので、注意しないと見落としてしまいそうです。
この道は狭いのに結構交通量があって、車やバスが飛ばして通ります。しかもマイルストーンは歩道と反対側にあるので、とにかく気をつけましょう。石畳なので車が通る時に大きな音がして余計怖く感じます。ローマ時代も主要街道なので交通量は多かったはずですが、もっとのんびりしていたでしょうね。そんな環境なので、のんびりと過去に想いを馳せる、なんていう雰囲気ではないのがちょっと残念です。
それでも本来あった場所にあるのを見るのは、たとえレプリカであっても、いろいろ想像が湧いて楽しいですね。
関連記事⇒ アッピア街道・起点のカペーナ門からチェチーラ・メテッラの墓まで(イタリア)
更新履歴
- 2018/4/15 新規投稿
- 2019/7/30 再訪を追記。
- 2021/4/10 冒頭の地図を修正。
ディスカッション
コメント一覧
平成31年1月3日から10日までイタリア旅行に行ってきました。その4日目あたりにローマ観光を行って、嘗て行ってみたいと思って居たアッピア街道の石畳を100メートルほど歩いてみました。今から31年前に、藤原武と言う方が書いた、「ローマの道 遍歴と散策」と言う本を軽く読んでおりましたのでローマに行ったら是非ともアッピア街道を歩いて、マイルストーンを見てみたいと思って居ましたので、ちょっと残念な気分でした。タクシーの運転手にマイルストーンのある場所を聞いてみましたが、わかりませんでした。英語があまり得意ではないのかもしれませんでしたが、カタコンベとかカラカラ浴場等の大体の説明はできておりましたから、やはり一般的に現地の方には知られていないのかもしれません。でも今から2,000年も前にローマ兵が隊列を組んで行進したと思われるアッピア街道を散策する一時を持てたことは、大いなる喜びでした。
1月の3日から10日までイタリア旅行に出かけてきました。その4日目あたりに2日ほどローマ観光を行い、昔から行ってみたいと思って居たアッピア街道を実際に100mほど歩いてみました。同時にマイルストーンを見てみたいと思い、タクシーの運転手さんに尋ねてみましたが、わかりませんでした。意味を説明しても、見たことが無いようでした。今から31年前に出版された、藤原武と言う方の書いた、「ローマの道 遍歴と散策」を読んでおりましたので、その本を実際に持って行った方が良かったと後悔しました。それでも今から2,000年前にローマ軍の兵士が歩んだと同じアッピア街道を、ほんの少し歩けたのは、大きな喜びでした。事前に貴殿のこの記事を読んでおけばよかったと思って居るところです。
第一マイルストーンは本当にわかりにくいのです。サン・セバステアーノ門辺りから見ても見えませんし、案内板などもなく、至近距離に行って初めて気づくような感じです。
実は去年(2018年)の5月に再訪し、ここからチェチーラ・メテッラの墓まで歩いてみました。埃っぽくてバスや車が間近をぶっ飛ばして通る道は快適とは程遠いものでしたが、古代ローマの人が歩いた道を歩くというだけでワクワクしてしまいました。
機会があったらぜひ再訪してみてください。