アオスタ近郊の水道橋ポン・デル Pont d’Ael(イタリア)

 アオスタの西にある細く切り立ったコーニュ渓谷に架けられた水道橋で、橋の上を歩いて渡ることができます。導水管の下に保守用の空間がある独特な構造です。この水道の目的は都市への飲料水供給ではなく、農地の灌漑と鉄鉱石の洗浄でした。




水道橋の全体像

 アオスタから西に8kmほどのところで、アオスタ渓谷を流れるドラ・バルテア川に南側からグランド・エイヴィア川(Grand Eyvia)が流れ込んでいます。急勾配でアオスタ渓谷に流れ下るこの川を5kmほど遡ったところに古代ローマの水道橋、ポン・デル(Pont d’Ael)が残っています。

 水道橋は同じ名の小さな集落の脇にあり、グランド・エイヴィア川が刻んだコーニュ渓谷を渡っています。橋の長さは50m。谷の中央部は垂直に切り立った深い崖で水面は66mも下にあり、この深く切れ込んだ部分を内径は14mのアーチが跨いでいます。長さ50mという橋の大きさに比べてアーチが小さく感じるので、壁のような印象です。

 橋の上部は幅2.26mとのことなので、セゴビア水道橋と同じくらいです。

 川はかなりの急流で、滝と言ってもいいほどです。

川の上流はかなり傾斜が急です。
川の下流。

 水道橋の上は歩いて渡ることができて、ハイキングコースの一部になっています。私が訪れた3月初めには路面に雪が残っていました。歩ける部分は幅が1.4m程と細いのですが、両側に高さ1.4m、厚さ30cmくらいの壁が連なっているおかげで深い谷は覗き込まなければ見えず、高いところが苦手な私でも渡れます。

 この歩いている部分が水路が通っていたところです。側壁は元は60cm程の厚さがあり、上は蓋で塞がれていて、幅1m、高さ2m程の長方形の空間でした。その下から1.3mが水路です。

橋の上を渡ることができます。元はここが水路でした。

修理用の通路といわれている空間

 この水道橋の特徴は、水路の下に人が通れる通路があることです。これは水漏れをチェック、修理するためのものと言われています。中は高さが3.88mもあるそうですから、人が楽に通れる空間です。外から見るとこの部分には上下2列に明り取りと言われている窓が並んでいるのがわかります。しかし天井、すなわち水路の底が遠過ぎてチェックできないような気もします。ポン・デュ・ガールを始め他のローマ水道橋にはこんな設備はないはずですが、本当に点検用なんでしょうか。

水路の下に通路があります。明り取りと言われている穴が空いているのが分かります。

 集落側の橋のたもとには見学用の建物があって、階下から水道橋の下の通路に道がついています。しかし私が訪れた3月にはシーズンオフで営業しておらず、対岸の入り口も鍵がかかっていて、残念ながらこの監視通路には入れませんでした。

見学施設の入口。
下の階から橋の下の通路に行けるようになっています。

水道の経路

 水道橋の両側には水道がどう続いていたのか、現地で見たときにはさっぱりわかりませんでした。

 街と反対側の東岸が水道の上流にあたりますが、北から東にかけては急な登り勾配で水道が通せるような地形ではなく、南側は下り坂の道なので勾配が逆です。橋は接岸部の辺りが登り坂になっているのですが、そこは橋の床も壁も素材が違っていて後から造られたことがわかります。どうも原型を留めていないようなのです。Mathias Döringという研究者によると、上流はトンネルから直接橋につながっていたようです。確かに橋の床面をそのまま延長すると東岸では地面に潜ってしまいそうです。トンネルの入り口は自然に崩れたか、後から道をつけたときに意図して破壊したか、またはその両方でしょう。

東のたもと。坂になっています。

 水道の下流になる西側では、橋から左方向に川と平行に伸びる道がありこれが街の中を貫いていますが、これが下り勾配を描ける唯一のルートという気がします。Mathias Döringの推定図でも水道はその方向に伸びています。

 水道の源流は橋の下を流れるグランド・エイヴィア川で、ここから2.9km上流で川から水道が分岐していました。急斜面の崖を削って水道を通したようで、今でも上部が開いた溝が一部が残っているそうです。

水道の目的

 この水道はてっきりアオスタに生活用水を届けるためのものだと思っていました。しかしMathias Döringによるとそうではなく、農地の灌漑、鉄鉱石の運搬と洗浄が目的とのことです。

 グランド・エイヴィア川がドラ・バルテア川に合流するところにアイマヴィル (Aymavilles)という村があり、ここから東にかけてのドラ・バルテア川南岸は高台になっています。この200ヘクタール程の土地には今ブドウ畑が広がっていますが、まさにここが古代ローマ時代にこの水道による灌漑用水によって農地となったところのようです。

 アーチの上に碑文が残っていて、これに「アウグストゥス が13回目のコンスル(執政官)の時」とあるので、この水道橋が紀元前2年に造られたことがわかります。(英語版Wikipediaには紀元前3年とあるのですが、同じくWikipediaのコンスル一覧では紀元前2年です。しかし現地の案内看板には “3 a.C.”とあって、本当の建築年代がよくわかりません。いずれにしても紀元前後です。)紀元前25年に3000人の退役軍人の入植でスタートしたアオスタ(当時の名はアウグスタ・プラエトリア・サラッソルム Augusta Praetoria Salassorum)も、紀元前11年にはアルペス・ポエニナエ属州の州都となったこともあって人口が増え、新たな農地が必要になったのでしょう。

 アオスタ渓谷は幅が狭く、川の周囲は増水すれば水没する湿地帯だったと思われますから、この広い高台はアオスタ周辺で農地に適した貴重な場所だったはずです。水道の終点はこの農地のエリアと考えられていて、水道の全長は6kmと短めです。

 鉄鉱石はグランド・エイヴィア川周辺で産出し、古代ローマ時代にも採掘されていました。後に中世から操業された鉱山が1979年まで創業していたそうです。

 水道はポン・デルの手前で分岐してグランド・エイヴィア川の左岸を下るルートもあり、その下流に鉄鉱石の洗浄施設があったようです。しかし運搬というのはどうやったのでしょうか。筏のようなものに乗せて水道に浮かせて流したのでしょうか。ちなみに最初私は鉄鉱石を運ぶために橋が痛むので点検用通路があるのかと思ったのですが、鉄鉱石用の水道は橋の手前で分岐してしまうので違いますね。 

行き方

 SVAP がアオスタと水道橋の上流にあるコーニュ(Cogne)とを結ぶバスを運行していて、Pont d’Aèl まで24分です(2019年12月現在)。ただレンタカーで訪れたときにバス停は見かけなかったので、どこで乗り降りするのか不明です。

 アオスタ起点で車で行く場合、一般道SS26を西に5km程行ったところからSR47に入り、ドラ・バルテア川の南岸に渡ってアイマヴィル (Aymavilles)の街を通り登っていきます。SR47に入ってから5.6kmの地点で右に分岐し、1.2kmほど下るとポン・デル(Pont d’Ael)の街の入口の駐車場に到着です。SS26からSR47が分岐するとすぐ高速道路入り口への道が分岐するので、間違えて高速道路に入らないように注意しましょう。

 高速道路で来た場合は Aosta Ovest/St Pierre 出口で降りてSR47に入ります。

 駐車場から小さな集落の中の道を250m、3分歩けば水道橋です。

SR47の分岐。この跡すぐに高速道路への入り口が分岐します。
アイマヴィルの街の入口には美しい装飾の教会があります。
その前のヘアピンカーブを抜けて登っていきます。
古城の近くで再び向きを180度変えます。
斜面をぐんぐん登っていきます。
遠くにサン・ピエール城を見下ろします。
SR47からポン・デルへの分岐。
分岐から下っていくとポン・デルの街の入口の駐車場です。
駐車場にある案内板。この先の道を250m歩けば水道橋です。
ポン・デルの集落にある小さな礼拝所。

 グランド・エイヴィア川の上流には開けた盆地があり、コーニュ(Cogne )という村があります。ここは標高4,061mのグラン・パラディーゾ(Gran Paradiso)の麓に広がるリゾート地で、辺りは1922年に指定されたイタリアで最も古い国立公園、グラン・パラディーゾ国立公園です。

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Posted by roma-fan