ハドリアヌスの別荘(ティボリ)−「別荘」の概念をはるかに超えるもの(イタリア)
ローマ帝国領内各地を巡った皇帝ハドリアヌスが造った別荘で、ギリシャやエジプトなどの景勝地を模した庭園が美しいところです。「別荘」ですから皇帝がプライベートで静かにひっそり過ごす場所というイメージを持って訪れましたが、その想像とはかけ離れたものでした。
ここはローマに近いにもかかわらず訪れる難易度がかなり高いので、後述のガイドを読んでよく調べてから訪れましょう。
最初に出会うもの
チケット売り場のある現代の正面入口は低い窪地にあります。
入り口を入ると緩やかな上り坂で、左手にはオリーブ畑越しに丘の斜面にあるティヴォリの街が遠望できます。
左にカーブする坂道を登りきると目の前に高い壁がそびえています。
壁に開けられた入り口から中に入ると目の前に巨大な長方形の池が横たわり、周辺に広大な空間が広がっています。ここはポイキレ Pecile という名の庭園で、ギリシアのアテネにあった彩色柱廊、ストア・ポイキレを模したものです。
元は柱廊に囲まれていましたが、残念ながら建物は何も残っていません。ギリシャのストア・ポイキレには戦いの場面を描いた絵画が飾られていたそうですが、ここにもそういった絵があったのでしょうか。
池の長辺は100m以上あり、ポイキレ全体では232×97メートルもの広さがあります。ポイキレはハドリアヌスの別荘のほんの一部分ですが、ここだけで既に「別荘」という言葉からイメージしていたものとはかけ離れた規模のものであることに気付かされました。
ポイキレを通り過ぎて振り返るとポイキレの下の部分が見えますが、そこには構造物があるのが見えます。池は地面を掘って作ったのではなく、石やコンクリートで造った構造物なのです。
このポイキレの下の部分に見える小さな空間が並んだところは百の小部屋 Cento Camerelle と呼ばれていて、倉庫か宿舎だったと考えられています。
ハドリアヌスの別荘の元々の入り口はポイキレの南西部分、つまり百の小部屋の左側でした。百の小部屋の南に続く細長い空間は車回しで、百の小部屋の反対側がこの別荘の正面玄関でした。
車回しの西に接する部分にはアンティノウスの墓苑が作られていたことが最近の発掘でわかりました。アンティノウスはハドリアヌスが寵愛した美少年で、ナイル川で溺死しました。ハドリアヌスが殺したとか自殺だとか当時からいろいろ言われていたようですが、真相は不明です。
かつてそこにはオベリスクが建てられていて、これが今ではローマのピンチョの丘に立っています。
公衆浴場
ポイキレから車回し、正面玄関を右に見ながら奥に進むと、左側に小浴場 Piccole Terme、その隣に大浴場 Grandi Termeがあります。
小浴場は皇帝ハドリアヌス個人のためのもの、大浴場はそれ以外の住人のためのものです。
個人用の小浴場からしてとてつもなくでかいのですが、大浴場 Grandi Terme は当然それより更に巨大で、なんと長辺が約80m、短辺が約50mというとんでもない大きさです。
皇帝の身の回りの世話をする人や別荘の管理をする人は当然住んでいたでしょう。そこからイメージするような人数だったらこんな規模の浴場が必要とは思えません。そもそもこの風呂を運営するだけでもかなりの人数が必要になりそうです。 ここに住んでいた人数が単なる皇帝個人の別荘というような規模ではなかったことを物語ります。
大浴場の隣にあるのはプレトリオ Pretorio と呼ばれる3階建ての建物です。兵舎とも倉庫とも言われています。プレトリオ前には赤い花が咲いていました。「兵どもが夢の跡」という言葉が浮かんできました。
カノープス
浴場の奥に進むと後ろ向きに建つ何体かの彫像の向こうにかなり奥行きのある細長い池が伸びている光景が目に飛び込んできます。これがハドリアヌスの別荘を代表する場所と言っていいカノープス Canopo です。
ハドリアヌスの別荘の紹介にはたいていこのカノープスの丸くなった端の部分の写真が載っていて、私は建物前の庭に丸い池があってその周りを彫刻が囲んでいる、というような別荘の風景を思い描いていました。しかし今目の前にあるのはそんなものとは全く違います。池は長方形で、奥行きはなんと120mもあります。
カノープスはエジプトのアレキサンドリア近くの海岸線にあった街で、その風景を模したものと言われています。池の淵には石造りのワニの彫像があってエジプトっぽさを醸し出しています。池の真ん中には台座のような残骸があってその上に亀がいました。これもワニとセットの作り物かと思いましたが、亀は本物ですね。
池の東側の淵には美しい女性像が並んでいます。女性像を間近に見ると頭に四角い板のようなものが載っていますが、これは建物の柱なのです。元々はこのカノープスの池全体が柱廊に囲まれていました。人の形をした柱というのは趣味が悪く感じますが、「カリアティード caryatid」と言って古代ギリシャの建築物によく見られますし、ルネサンス時代の建物にもこれを真似たものが数多くあります。
池の奥の突き当りにはドーム型の天井を持つ建物が残っています。これはスティバディウムという宴会場です。
古代ローマでは宴会のときは寝台に寝そべって飲食していましたから、ハドリアヌスはここに寝そべってこの池の風景を眺めながら宴会を開いていたのですね。でもこの池は広すぎて、宴会場から北端の彫像はよく見えませんね。
階段でスティバディウムの建物の上に登ることができて、そこからはカノープス全体を見渡せます。
ところで池の手間の地面に横たわった姿の男性像が2つ無造作に置かれています。もともとこの辺りにあったということなのが、単にここに置いてみただけなのか、説明書きもないのでわかりません。柵も何もなく、本当にただそこに置かれています。ハドリアヌスの別荘はこのように整備されていないように感じるところがそこかしこにあります。
ロッカ・ブルーナ
カノープスのあるところは細長い窪地になっています。もとからそうだったのか、カノープスを造るために掘り込んだのかは判りません。西側に建つ博物館の脇の道を登るとその先に細い道が続いていて、オリーブ畑の中を200mほど行くとロッカ・ブルーナ Rocca Bruna という神殿がぽつんと建っています。
ローカ・ブルーナには階段が付けられていて、上は展望台になっています。今来た東側を見るとオリーブ畑の向こうに大浴場、小浴場があり、遠くにティヴォリの街が見えます。その反対側は落ち込んでいて、畑と森が広がっています。こちらが西、ローマの方角です。
今見られるのはロッカ・ブルーナだけですが、元々はここから南側に続く尾根の上にも別荘が広がっていました。
宮殿
カノープスの反対側、東の高台の上一帯にもたくさんの建造物が広がっています。小浴場の裏手からそのエリアに登っていきます。
登ったところにある四角いプールのようなものは養魚場 Peschiera です。この巨大な水槽で養殖した魚が宴会に出されていたのでしょうか。水槽の中に水はなく、黄色い花が埋め尽くしていました。わずかに混じる赤い花がアクセントになっていて、本来の姿とは全く違いますがとても美しい眺めです。
柱が残っていて、ここも元は大きな建物だったことがわかります。水槽の周囲には天窓が開いた地下通路が巡っています。作業用の通路でしょうか。
養魚場の北西に広い空間がありますが、そこは元々宮殿だったところです。
ここはドーリス式角柱の広間 Sala dei pilastri doriei。
その隣は夏のトリクリニウム Triclinio estivo。トリクリニウムは食堂で、古代ローマ人は長椅子に寝そべって食事をしました。
数多くの建物が建っていましたが、残念ながらあまり残っていません。
宮殿から南東に少し離れたところに黄金広場 Piazza d’Oro という名の広い空間があります。中央に水路があり周りを建物が取り囲んでいました。
宮殿の北西側は図書館の中庭 Cortile delle Biblioteche です。宮殿から一段低くなっているところにあり、木が生い茂っています。
テンペー谷から図書館へ
宮殿と図書館の中庭の間から階段を下ると、北東にある谷を見渡すことができます。この谷にハドリアヌスはテンペー谷というギリシャのテッサリアにある地名をつけました。テンペー谷はアリスタイオスという神様の所縁の地らしいのですが初めて聞く名です。谷の向こうの丘の斜面にはティヴォリの街が見えます
南西側には皇帝のトリクリニウム Triclinio Imperiale があります。宮殿跡の夏のトリクリニウムとここと、2つの食堂があったわけです。この整然としたモザイク床の上で長椅子に横になって食事をしたのですね。辺りには柱が倒れたままになっていたり、柱頭が転がっていたりして、あまり整備されていません。元の姿がどんなだったかちょっと想像できないのが残念です。
その隣の一段高くなったところにはホスピタリア Hospitalia があります。客間という意味で、これは小部屋が並んでいることからそう呼ばれています。でも客間にしては小さすぎるので役人の宿所とも言われています。確かに広さから考えると宿所の方がありそうな気がします。大浴場からもわかるように相当大勢の人が住んでいたと思われますが、こういうところで暮らしていたのですね。
図書館の中庭の北西端にはギリシャ語の図書館とラテン語の図書館があります。本当に図書館だったかどうかはわからないようですが、カラカラ浴場にもギリシャ語とラテン語の図書館があったので、ここにあっても不思議ではありません。図書館の裏手には水を流していたと思われる設備があり、辺りには赤い花が咲いていました。美しい庭園だったと思われます。
島のヴィラ(海の劇場)
そして図書館の中庭の西側に接して建つのがカノープスと並ぶハドリアヌスの別荘のハイライト、島のヴィラ Villa dell’ Isolaです。またの名は海の劇場 Teatro Marittimo 。
円形の建物の中央に池があり、その中に円形の島があります。美しい場所です。ここは周りを高い壁で囲まれていることもあって、唯一「別荘」という言葉がしっくり来ました。この島に籠もっていたらゆっくりできそうです。
傍らには復元模型がありました。島には木製の橋が架けられていたそうです。
島のヴィラの西はポイキレです。反時計回りに回って戻って来ました。
広さといい規模といい、そして大勢の人が住んでいた痕跡といい、もはや「別荘」という言葉からイメージするものとはかけ離れています。
これはもう「都市」と呼んだ方がいいでしょう。
ウェヌス神殿とギリシア劇場
ポイキレの脇の壁には入り口が2つあります。最初に入ったのはポイキレの池の中央部分ですが、池の東側の口を出て正面に続く坂道を降っていくと劇場と神殿があります。
坂道の入口にはどこかの柱の一部だったと思われるものが置いてありました。大事なものだと思うのですが扱いが適当です。
ウェヌス神殿 Tempio di Venere は柱の一部と首のない彫像が残っています。すぐ奥では修復工事が行われていました。そちらも神殿の一部でしょうか。
その奥に劇場 Teatroがありますが、フェンスがあって中には入れません。
この北端の劇場から南端のカノープスの端まで900m、当時の別荘はもっと南まで続いていたので全長は1kmを越えます。散策する庭くらいに思っていましたが、そういう次元のものではありませんでした。
造った目的を想像すると
この別荘はハドリアヌスが皇帝となった翌年の118年、42歳のときに建設が始まり、完成したのは133年でした。その間121~125年、128~134年はローマ帝国内の巡察旅行に出かけてローマを留守にしていて、138年に62歳で亡くなってしまいます。いったい本人はここにどれだけの長さ滞在したのでしょうか?
しかも死んだのはここではなく、ナポリ湾岸のバイアエにある別荘でした。
おそらくハドリアヌスにとっては造ること自体が目的だったのではないでしょうか。何を造るか考え、だんだん形を成していくのを眺め、そして完成した姿を見る。その過程を楽しみたいだけだったのではないかという気がします。
訪問ガイド
ハドリアヌスの別荘はエステ家別荘のあるティヴォリの中心街からはかなり離れています。ハドリアヌスの別荘は平地、ティヴォリの中心街はその近くの丘の中腹で高低差もかなりあります。間違ってもティヴォリから歩こうなんて考えてはいけません。
ローマ・テルミニ駅からは3つの行き方があります。
①イタリア鉄道(FS)+ C.A.T バス
テルミニ駅からイタリア鉄道(FS)に乗り Roma Tiburtina で乗り換えて Tivoli 駅下車、Tivoli からC.A.T バス Linea 4 に乗り Villa Adriana 下車
テルミニ駅から Tiburtina までは地下鉄B線で行くことも可能。
時間の制約が少なく、鉄道は安心感があってお勧め。
これも世界遺産であるエステ家別荘と1日で両方訪れることも可能です。
利点
- バスがハドリアヌスの別荘の入り口まで行く。
欠点
- テルミニ駅からのイタリア鉄道(FS)直通列車がなく、FSか地下鉄B線に乗って Roma Tiburtina で乗り換えが必要なため、2回の乗り換えが必要。
- Tivoli 駅からバス乗り場まで遠い。(約1km、徒歩15分程度)
- Tivoli のバス停がわかりにくい。
② 地下鉄B線 + COTRALバス
2018年に私が使ったコース。
地下鉄B線 Rebibbia 行きで Ponte Mammoro 下車、COTRALバスの Villa Adriana 経由 Tivoli 行きで Villa Adriana 下車。
ガイドブックにはこれが載っているものが多いのですが、 Villa Adriana 経由は本数が少ないので注意が必要です。COTRALのホームページでバス時刻を検索して行きましょう。また乗り場のモニターで行き先の下に経由地が表示されているので、VILLA ADORIANA とあるのを確かめて乗りましょう。
Villa Adriana を経由しないバスの場合、最寄り停留所から別荘の入口までは1km以上あります。そもそも行きに目的の停留所で降りるのは難しいので、このコースでこれもお勧めしません。
2019/8/16に検索したところ帰りの Villa Adriana 経由のバスは出てきませんでした。
利点
- 乗り換えが1回で済む。
- Ponte Mammoro は駅直結のバスターミナルから乗るので乗り換えが楽。
欠点
- Ponte Mammoro から Tivoli 行きは数が多いが、Villa Adriana に迂回する便は1日10本程度と数が少ない。
- 途中の停留所での下車となるのでバスを降りるのが難しい。
- バスが別荘の入り口までは行かず、近くの街の中の停留所で降ろされる。入り口までは300mほどだがややわかりにくい。
- 2019/8/16には帰りの Ponte Mammoro 行きのバスが COTRAL のサイトで検索しても出てこなかった。 2018年4月訪問時には検索で出てきていたので、なくなったのかもしれない。なければ帰りは使えない。
③ 地下鉄B線 + COTRALバス + C.A.T バス
地下鉄B線 Rebibbia 行きで Ponte Mammoro 下車 、COTRALバスで Tivilo まで行き、 C.A.T バス Linea 4 に乗り換えて Villa Adriana 下車 。
利点
- Ponte Mammoro から Tivoli 行きは数が多いので時間の制約が少ない。
- Tivilo での乗り換えが鉄道利用より楽。
- ハドリアヌスの別荘の入り口までバスで行ける。
欠点
- 2回の乗り換えが必要。
- Tivilo の街には複数のバス停があるので降りるのが難しい。
注意点
- 地下鉄B線は途中で2方向に分かれます。②ルート、③ルートとも、乗るのはレビッビア Rebibbia 行き。(もう一つは Jonio 行き)
- COTRAL バスの時刻はホームページで調べられます(https://servizi.cotralspa.it)。イタリア語しかありませんが、時刻表検索くらいなら簡単です。「Orari」が時刻表の意味です。
- バスのチケットは予め買っておく必要があります。
- Ponte Mammoro 駅では階下の改札を出たところにある売店で買えます。私は「Villa Adriana」と言って買いました。
- ハドリアヌスの別荘からティボリ行きのC.A.T.バスのチケットはハドリアヌスの別荘の入場券売り場で買えます。混むので時間に余裕を見ておきましょう。
- バス車内では次の停留所を知らせる放送など何もなく、降りるときは外を見て自分の降りる停留所が次になったらボタンを押します。初めてきてこれは無理なので、乗るときに運転手に伝えておくのがお勧めです。着いたら教えてくれるはずです。私は「VILLA ADORIANA」と書いた紙を用意しておき、行きのバスに乗るときに言葉と文字で運転手に確認しておきましたが、降りるときに教えてくれました。
- ティヴォリからハドリアヌスの別荘までは距離が遠く高低差もかなりありますから、絶対に歩こうなどと思ってはいけません。
- バス停にはバス会社名が書いてあるだけで、停留場名が書かれていません。
2018年の訪問記
行き(②のコース)
地下鉄B線 テルミニ駅(8:13発)ーPonte Mammoro 駅(8:30着)
COTRALバス Tivilo 行(Villa Adriana経由) Ponte Mammoro(8:45発)ーVilla Adriana(9:28着)
帰り(③のコース)
C.A.T.バス Villa AdrianaーTivilo
COTRALバス Tivilo(15:43発)ーPonte Mammoro(16:38着)
地下鉄B線 Ponte Mammoro 駅(16:45発)ーテルミニ駅(17:04着)
行き
ローマ・テルミニ駅の地下鉄B線 (MEB) から8:13、レビッビア Rebibbia 行きに乗り、8:30にポンテ・マンモーロ Ponte Mammoloに到着。
B線は途中で2方向に分かれるので、念のため乗ってからも車内の表示でレビッビア Rebibbia 行きであることを何度も確かめました。
降りる人はわずかで、本当位にここがハドリアヌスの別荘へのメインルートなのか少し不安になります。
降りたホームにバスターミナルに直接出られる出口がありましたが、このときは開いていませんでした。
階下の改札を出ると売店があり、そこでバスのチケットを買えます。
「Villa Adriana」と言って買いました。Googleマップのストリートビューで見たら帰りのチケットを買えそうな店が見当たらなかったので、往復で買いました。特に行き先など書いてなくて、同じチケットが2枚です。
階段を上がると大きなバスターミナルがあります。
8:45ティヴォリ Tivoli 行きの表示を見つけました。経由地に VILLA ADORIANA とあるのを確かめます。
ティヴォリ行きは頻繁にあるのですが、ハドリアヌスの別荘の近くを通る便は数少ないので、間違えないよう注意が必要です。この時も少し前にハドリアヌスの別荘に寄らないティヴォリ行きが隣の乗り場から出て行きました。
バスがやって来ました。私が2番目に並んでいたのですが、ここに写っている若い女性二人組、バスが来たら割り込んで先に乗り込み、一番前の特等席に座ってしまいました。仕方ないので後ろの席に座ります。
運転手は女性でした。乗るときに「VILLA ADORIANA」と書いた紙を運転手に見せて確かめました。こうしておけば降りるときもたぶん教えてもらえます。
定刻8:45に出発。
乗客は私を含めて9人ほど。
地図を見るとティヴォリまではSR5という道路を行くのが最短コースなのですが、このバスはずっと南の道を走ります。高速道路を少し走ったあと途中でこれを降り、田舎道をあちこち寄りながら走ります。本当にこのバスでよかったのか不安になってしまいます。そのうちすれ違いも難しいようなところもある細い道に入り、小さな集落の広場に入って乗降客がいないのにバス停に停車しました。すぐに再び動き出すと元来た道をしばらく戻り、ようやく南の方からハドリアヌスの別荘の近くの街に入っていきました。
帰国後に改めてバス乗り場で見た行き先表示の経由地と地図を見比べてみたら、引き返したところは S. VITTORINO という集落だったようです。きれいな教会があるようなのでここを訪れる人がいるのでしょうか。それにしても相当な大回りです。
乗る時に伝えておいたので、到着時に運転手さんが教えてくれました。
バス停はただの田舎町の街角という感じで、他に観光客もおらず、本当にここに世界遺産があるのか信じられないようなところでした。
帰りに備えて反対側のバス乗り場を探したのですがわからないので、諦めて帰りに探すことにしましたが、結局ティヴォリまでバスで行ってしまったのでわからずじまいです。
道が直角に折れるところまで戻ったら 「VILLA ADRIANA」と書いてある小さな看板 があり、 細い道に入ります。 100mほどゆるい坂道を下るとハドリアヌスの別荘の駐車場があり、その向こう側に入口がありました。
歩いている途中できれいなバス何台かと行き合いました。ティヴォリとの間を結ぶバスは入口脇まで行きます。乗ってきたバスは私と他に旅行者風の2人が降りただけですが、こちらには乗客がたくさん乗っていました。明らかにこれがメインルートです。
帰り
来たときに帰りのバス停を見つけられていません。Villa Adoriana 経由でないバスの停留所までは1km以上ある上、場所も定かではありません。それで目の前から出るバスでティヴォリに行って乗り継ぐことにしました。バスを待つ人は大勢いて、こちらがメインルートであることは確実です。
ティヴォリ行きのC.A.T.バスのチケットは入場券売り場で売っています。行列ができていて買うのに15分位かかりました。 ティヴォリまでは1.3ユーロでした。
バスはハドリアヌスの別荘のある街を出はずれると坂をぐんぐん登って行きます。やがてティヴォリの市街地に入ると右折してすぐのバスターミナルのようなところに停まり、そこで大勢降りました。私もそこで降りました。
しかし降りたところには COTRAL の看板が見当たりません。それで街中をあちこち探し回ることになってしまいました。
最初は降りたバス停の近く、バスが右折する手前の公園の前にある、人が大勢待っているバス停に行ったのですが、ここにも COTRAL の看板がありません。仕方なく先程降りたバス停に戻り、バスが走っていく方向に沿って歩いてみると、左折した先に COTRAL のバス停を見つけたのでそこから乗りました。
バスは街中の一方通行の道をぐるっと回って、結局先程行った公園前のバス停に停車して、ここから大勢乗ってきました。これがガリバルディ広場前というメインのバス停のようです。
帰りのバスはハドリアヌスの別荘近くを迂回せず、最短距離の道路SR5を行きます。小まめにバス停に停まり、乗り降りが結構あります。バスは途中からかなり混んできました。
次の停留所を知らせる放送などもなく、降りる人は外を見て自分の降りる停留所が次になったらボタンを押しているようです。たまに「フェルマータ」と叫んで停めてもらったりもしています。 「フェルマータ」 はイタリア語で「停留所」という意味です。初めて来て目的の場所で降りるのは相当難しいですね。Ponte Mammoro は終点なのでその心配は無用です。
16:38、Ponte Mammoro に到着。
地下鉄B線に乗り継いで17:04、テルミニ駅に到着しました。
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