庶民の住宅インスラ

 現代のローマは7階建てくらいの建物が連なっていますが、実は2000年前のローマもこれとあまり変わらない姿をしていました。そこに建ち並んでいたのが庶民の住宅、インスラです。



出会い

 ローマ観光の定番、ミケランジェロが設計したカンピドリオの丘に登る階段、コルドナータの左に、多くの人は通り過ぎてしまう遺跡があります。見た目が地味なので足を止める人が少ないのも致し方ありません。何を隠そう私も最初にローマを訪れたときには、この前をたしかに通ったはずなのですが全く記憶にありません。実はこれが庶民の住宅である「インスラ」の遺跡です。

 そのローマ訪問のとき、もともと国内外を問わず遺跡好きだった私は、この後オスティア遺跡を訪れました。ポンペイに比べるとあまり知られていませんが、古代の港町であったオスティアは非常に多くの建造物や見事なモザイク床が多く残されていて、古代ローマ好きなら必見の場所です。そこにインスラはありました。

 ガイドブックとして見ていたとんぼの本「ローマ古代散歩」(小森谷 慶子, 小森谷 賢二著)には、「ディアナの家」と呼ばれるこのインスラは、4階建ての集合住宅だったと書かれていました。

 えっ、4階建ての高層アパートが2000年前の古代ローマにあったの?

インスラの姿

 この旅行で遅まきながら古代ローマの魅力に目覚めた私は、それから色々な本を読み耽りましたが、そこにはインスラが古代ローマの都市には数多く建てられていたこと、それは庶民の住宅であること、首都ローマには9階建てのものもあったと言われていることを知りました。古代ローマのイメージが根底から覆されました。

オスティア・アンティカ ディアナの家
オスティア・アンティカのディアナの家の中庭。
オスティア・アンティカのディアナの家の壁の装飾。当時はレンガむき出しではなく、きれいに装飾されていました。

 Wikipediaによると、皇帝アウグストゥスが火災と倒壊を防ぐためインスラの高さを70ローマンフィート (約20m)に制限したとのことです。現代のマンションの1階は約3mなので、20mというのは6〜7階くらいに当たります。6〜7階建てに制限したのですから、9階建てがあった可能性は十分あります。実は私が今住んでいるマンションは9階建てです。この高さの建物が2000年前の都市に建ち並んでいたなんて、自分の中にあった常識が根底から覆される気分です。現代のローマは7階建てくらいの建物が連なっていますが、2000年前のローマもこれとあまり変わらない姿をしていたということですね。

インスラでの生活

 当然ながらエレベーターなどない時代ですから、上の階には階段で上がることになります。その不便さのため上の階ほど家賃が安く、下の階に金持ちが、上に行くほど貧しい人々が住んでいました。

オスティア・アンティカのディアナの家の上階に登る階段。

 水道や下水の施設はあったようですが、窓から糞尿を投げ捨てる人が多く、ローマの町は悪臭が漂っていたそうです。先進的なところと原始的なところが同居しているのが不思議なところですが、先進的とか原始的という評価自体が自分の勝手な思い込みによって枠をはめているだけなのかもしれません。

 オスティアのインスラのある一角にはパン屋や飲食店があります。2000年前の人々は4階建ての集合住宅に住み、近所のパン屋でパンを買い、食堂で食事したりワインを飲んだりしていたのです。これはもう現代の生活と同じです。

オスティア・アンティカのパンや。粉挽き用の石臼や窯があります。
オスティア・アンティカのテルモポリウム(飲食店)。カウンターやワインの入ったアンフォラという壺を置く場所、中庭があります。

 古代ローマに高層建築が建ち並んでいた2000年前、日本は弥生時代で、人々は竪穴式住居に住んでいました。ヨーロッパではローマ帝国滅亡後、中世には住宅が質素なものに変わり自給自足の生活に戻りました。竪穴式住居のようなものからビルが立ち並ぶ現代まで文明は一方向に進化してきた、と思っていましたが、インスラが立ち並ぶ古代ローマの光景と生活を思うと、文明は常に進化してきたという考えは間違いだと気づきます。今後も人間は行ったり来たりを続けるんじゃないでしょうか。

再びローマのインスラ

 最初のローマ訪問で目にしているはずのインスラ。2018年に再びそこを訪れました。

 前回はヴィットーリオ・エマヌエーレ2世記念堂の方から来てコルドナータを登ったので、この前を通ったことは間違いありません。でもやはりこれを見たという記憶は全くなく、写真も撮っていません。

 小雨のぱらつく中、大勢の人々が行き交いますが、やはり足を止める人は多くありません。たまに立ち止まって見ている人もいますが、視線の先にあるのは後世に教会に転用されたときに描かれたキリスト教の絵です。他に見ているのは、先生に連れられた社会科見学の生徒くらいですね。

 現在の地上に出ているのは2階建てで、その上に後世に付け足されたと思われる塔が乗った姿をしています。

ローマのインスラ

 建物の手前が道路から深く彫り込まれていて、覗き込むと5〜6m下に当時の1階を見ることができます。現在の地面の高さにあるのは3階で、もともとは4階建てであったことがわかります。

下を覗き込むと当時の1階まで見ることができます。今の地面と同じ高さにある3階部分に、後世に教会に転用されたときに描かれた宗教画があります。

 1階は間口が広いので、店舗だったのでしょう。カンピドリオの丘の麓という立地は超1等地のように思えますが、そんな場所に庶民の住宅が建っていたというのは意外です。

 アウグストゥスが高さ制限をしたのは作りが雑で倒壊することがあったからだそうですが、こうしてみるとかなりしっかりした建物という印象です。これが立ち並ぶ街並みは、やはり今のローマの街並みと変わらないものだったのではないでしょうか。

 建物の右端は、コルドナータの左に接している、14世紀に作られたアラコエリのサンタ・マリア聖堂に登る階段に喰い込んだようになっています。インスラを壊してその上に階段を造ったのですね。

訪問ガイド

 ローマのインスラはカンピドリオ広場に登るコルドナータと呼ばれる階段とサンタ・マリア聖堂に登る階段の左側にあります。

 オスティアは地下鉄B線ピラミデ駅で同じ場所の地上にあるPorta S. Paolo駅 から出るローマ・リード線に乗り換え、オスティア・アンティーカ Ostia Antica 駅まで30分ほど。

Posted by roma-fan